中日多村は“恩人”落合GMの元で輝くか 育成から復活した中村紀と違いは?
中村紀の時は監督だった落合GM、多村復活の鍵は現場にいない”恩人”の指導?
DeNAを戦力外となった多村仁志外野手が、15日に中日と育成選手契約を結んだ。
今季プロ22年目。3月に39歳を迎えるベテランは新天地で輝きを取り戻すことはできるのか。ヤクルト、日本ハム、阪神、横浜と4球団で捕手として活躍した野球解説者の野口寿浩氏は、その可能性について「落合さんの指導を受けられれば、復活の余地は十分あると思います」と指摘。若手時代に打撃指導を行った”恩人”の落合博満GMの存在が大きく影響すると言及した。
「(多村は)落合さんが臨時コーチで指導して良くなった選手。なので、中日は(多村にとって)いいチームだと思うんです」
横浜時代の2001年に秋季キャンプで臨時コーチを務めた落合GMから指導を受け、長打力が開花。2003年には91試合で18本塁打を放った。2004年には日本人として当時球団史上初の40本塁打を達成し、2005年も30本塁打をマークした。
落合GMの現役時代さながらの「神主打法」で2006年には初代WBC優勝メンバーにもなった右の強打者にとって、中日というチームへの入団はプラスに作用すると野口氏は語る。しかし、その一方で懸念も口にした。
「落合さんが現場にいる人間だったら、復活もあるかなという気がするんですけど、落合さんは現場に顔は出さないでしょうから。中村紀の時は監督として指導できる立場にいましたが、今は球団にいるとはいえ、現場にいる立場ではありません。1人で切り拓いていかないと、ということになるかもしれません」
中村紀洋(前DeNA)はオリックス退団後の2007年春、多村と同じく中日と育成契約を結び、同年に支配下登録。落合監督の元、130試合で打率.293の成績を残した。野口氏はその時の状況を引き合いに出し、落合氏が現在は現場にいないGMという立ち場であるが故の不安を指摘した。