殿堂入り斎藤雅樹氏、語り継がれる完投劇 第2の“ミスター完投”出てくるか
飛躍のきっかけとなった32年前の完投劇
斎藤氏の完投数。最も多いのは20勝した1989年。30試合に先発し、21完投をマークしている。同じく20勝した1990年も27試合で19完投。とにかく投げまくった。最近、完投数がセで2桁に到達したのは2005年の広島の黒田(11完投)、横浜・三浦(10完投)が最後。もう10年も出ていない。分業制に加え、肩、肘への考え方も変わってきており、時代の流れもあるが、斎藤氏のシーズンの完投数は偉業といっていい。
語り継がれている完投劇がある。それは1軍ではなく、斎藤氏がまだ2軍にいたころの話である。
2年目の1984年に約2週間、釧路や網走、旭川などを巡る北海道遠征があった。斎藤氏は約10試合の遠征でなんと4試合に先発し、3試合完投、それもすべて勝利を収めたのだった。秘められていた完投能力が発揮され、チーム内では中継ぎではなく、先発として使うべきではないかという声が相次いだ。この年、1軍での登板は17試合。先発したのは1度だけだった。これをきっかけに翌年は20試合に先発するなど、先発投手として大活躍するのであった。
今は2軍でも分業制を敷く時代。ただ、先発投手ならば任されたマウンドは最初から最後まで守っていたいというのが本音だ。こういう時代だが、藤浪をはじめとする若手から第2の“ミスター完投”の襲名するような投手が出てくるか。新世代の活躍に期待したい。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count