ロッテドラ3左腕・成田は涙の数だけ上達― 高校恩師が明かす急成長の過去
太田監督が明かす意外な一面、涙の数だけ成長
夏は初戦(2回戦)こそ180球を費やし、ヒット10本を浴びたが、リリースポイントを前に修正したことで3回戦から「いける」と手応えをつかんだ。準々決勝では秋の東北大会出場をかけた3位決定戦で敗れた西目と対戦し、16三振を奪った。決勝は3安打9奪三振を奪う圧巻の投球を見せたが、それも7回1死まで走者を許さなかった。秋田大会全5試合を投げ、39イニングで奪った三振は55個。防御率0・46、奪三振率12・69で甲子園に乗り込んだ。
甲子園の初戦は春の九州王者・龍谷高。初回から4連続三振とエンジン全開で、5回まで10K。試合の途中からはストレート中心からスライダー中心に配球を変え、終わってみれば、被安打3、16奪三振で勝利した。この試合でロッテのスカウト陣は成田の可能性を感じた。
準々決勝で平沢に一発を浴びて仙台育英高に敗れたが、その後、高校日本代表も経験。ドラフトでロッテから指名を受け、プロ野球選手となった。夏の甲子園までは社会人チーム入りが噂されていただけに、高校2年から3年の成長がなければ、また、甲子園に出場していなければ、成田の人生はまた違ったものになっていたかもしれない。
「成田、悔しくてよく泣くんですよ」と太田監督は意外な(?)一面を話す。2年秋も、「東北大会に行くチャンスを逃した」と涙した。八戸学院光星高との練習試合でも配球を間違って痛打を浴び、太田監督が「ウチにとって夏の大会前の仙台育英戦は夏を占う試合」と言う仙台育英高との練習試合でもアクシデントで早々に降板し、目を赤くした。1球が命取りになることを何度も経験し、成田は涙の数だけ、成長してきた。
1月の新人合同自主トレのノック。外野のポジションからも、ピッチャーマウンドからも捕球した後の送球が垂れず、野手のグラブに収まっていた。秋田では考えられないが、ブルペンにも入り、捕手を座らせてピッチング。「指のかかりはいいですが、まだバラつきがあります。アウトコースとインコースの投げ分けをしていきたいと思います」。まだ、高校で磨かれた制球力もプロのレベルで通用するとは思っていない。2月3日に18歳になったばかりの伸び盛り。170センチの体には大きなポテンシャルが詰まっている。
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高橋昌江●文 text by Masae Takahashi