失敗から始まった野球人生― DeNAドラ2右腕は“ただでは転ばない”

21Uワールドカップでそれまで考えられなかったような世界を体験

「いくらよかったとはいえ、悩みました。今思い返すと、リーグ戦の1戦目ではなく、2戦目とかデビューのさせ方があったなと。結局、クマは自信を持って投げられず、負け投手になりました」(森本監督)

 結局、2年生のシーズンはパッとしないまま終わった。しかし、熊原はそこで終わらなかった。2年冬のある日、左足を大きく三塁方向に投げ出すようにしてから投げると思いの外、しっくりきた。さらに、最初に左足を一塁方向に引いてセットしてから投げるとピタッときた。こうして「自分でも変なフォームだと思う」という独特の投げ方にたどり着いた。

 変化球の精度、使い方もよくなり、3年春に飛躍。仙台大の67季ぶりのリーグ優勝、初の大学選手権出場に大きく貢献した。大学日本代表、U21日本代表にも入り、国際舞台も経験した。

 21Uワールドカップ直後、熊原は「プロとアマチュアのトップの選手と練習をしたり、チームになって試合をしたりする貴重な経験ができました」と目を輝かせていた。

 宮城県南部の田舎町で育ち、地元の高校、大学に進んだ野球少年にとって、それまで考えられなかったような世界を体験。「ストレートの握りは人によって違いがあり、こういう握りもあるんだと勉強になりました」「右腕と左腰の使い方をアドバイスしてもらいました」「キャッチボールから軌道が違うし、フォームも確認するし、1球、1球を大切にしていました」など、嬉しそうに話していた。

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY