故・山本功児氏に導かれた野球人生 ロッテ福浦「天国で見守って欲しい」

バットを振り続けた日々、忘れられない1本、そして山本氏から通達が…

「とにかく練習をした。山本さんに、させられたというのが正しいけどね。あの時は本当にバットを振ったなあ」

 プロ野球は二軍とはいえ、投手から転向した打者がすぐに通用するほど甘くはない。本人が振り返るように練習の日々が始まった。チーム全体練習前に朝練の特打。試合後も特打。寮に戻ってもバットを振った。遠征先での試合を終えヘトヘトに疲れて寮に戻ってきた際も室内で特打を命じられた。野手としての遅れは歴然。少しでも一人前になるべく、とにかくバットを振った。いつも側には山本氏の姿があった。

 しかし、それでもなかなか打てなかった。二軍での初ヒットは1年目(94年)のイースタンリーグ最終戦となった10月8日。忘れもしないベイスターズ球場での横浜ベイスターズ戦だ。マウンドにはプロ初打席でも対戦した友利結投手。ストレートに振り遅れないように、早めにバットを始動させた。打球は右中間を抜けていった。二塁打になった。

 観衆はほとんどいない。だが、この1本が忘れられない。やれるという確信を持てるほどの一打ではない。でも、確かになにか打者としての一歩目を踏み出せた気がした。そんなヒットだった。

 そして4年目の97年7月4日の夜。秋田遠征中の宿舎で二軍監督になっていた山本氏から「明日から一軍だ」と言われた。急な招集に驚いた。夜も寝れないほど緊張した。いったんは布団に入ったが、ダメだった。だからバットを握った。二人部屋だったため、部屋の明かりはつけずに真っ暗の中、振り続けた。山本氏の教えを思い出すように打撃のポイントを確認し、深夜にようやく眠りについた。

 翌5日、マリンのデーゲームに間に合わせるため、早朝に身支度をし、ロビーに向うと、山本氏がいた。野手への道を作り、毎日、指導をしてくれた人がこんなに早い時間にわざわざ見送りに来てくれたことが身に染みた。活躍を誓い空港へ向かった。

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