01年マ軍監督が語るイチロー1年目と今 足跡は「奇跡のように素晴らしい」
「彼は得点のチャンスを作る打者だった。私たちは望み通りのものを手に入れた」
――イチローのように27、28歳で渡米して、日本よりも7、8マイル(約11~13キロ)速い速球に対応することは、イチローですら大変なことだったと思うが?
「順応することはタフだ。それは間違いない。メジャーの投手が(日本より)速い球を投げることは間違いない。それだけが唯一の心配だった。彼がメジャー入りする前の年に、練習生としてキャンプに参加した時、彼を試合に出すことはできなかった。でも、打撃練習を一緒にしたり、外野を守ったり、その他の練習を一緒にした。だから、彼に真の実力が備わっていることは分かっていた。唯一の疑問が、彼がメジャーリーグレベルの速球に対応できるかだった。
前にも言ったことがあるが、私はその年の春、彼がボールにしっかり対応できるか、バットスピードに問題ないか、聞いたことがある。でも、大丈夫だった。決して簡単なことではない。(野球だけでなく)文化や社会的な面においても慣れることは簡単じゃなかっただろう。通訳がいたことは大きな助けになっただろうが。
そうそう、彼はスペイン語も喋るんだ。ドミニカの選手とかスペイン語を話す選手もいたし、自分も問題なくスペイン語が話せる。だから、彼が来て間もない頃、私と彼はスペイン語でコミュニケーションを取ることができた(笑)。英語や日本語ではなくてスペイン語。それについて笑ったこともある」
――イチローが日本にいる時は20本塁打(95年に25本塁打、99年に21本塁打)や100打点(97年に91打点)を記録した時もあるが、彼がパワーを使わずに、安打を生むことに徹したことに対してフラストレーションはなかったか?
「いや、そんなことは決してない。何よりもセーフコ・フィールドは今でもホームランを打つには難しい屈指の場所だ。彼が初めて来た時は、かなり広かった。しかも、シアトルは夏になると湿気も出て、ボールが遠くへ飛ばなくなる。だから、私たちは(彼がパワーを使うことを)期待はしていなかった。我々が期待していたのは、リードオフを打って、出塁率が非常に高く、盗塁ができて、得点できる選手だ。彼は得点のチャンスを作る打者だった。私たちが契約した時に望んでいたことはそれで、望み通りのものを手に入れた。
彼の四球数が少ないのは、ボールへのコンタクトが非常に上手いからだ。コンタクトヒッターで、空振りをしなければ、四球を稼ぐのは難しい。日本では28本も本塁打を打っていたんだから、投手は勝負しなくなる。でも、メジャーでは勝負せざるを得ない。彼は出塁したら二盗したり三盗する可能性もある。だから勝負せざるを得ないんだ。また彼の後ろにいい打者がそろっていれば、ストライクも増えて打ちやすくなる。でも、彼に20本塁打は期待していなかった。我々は、素晴らしい外野守備をして、盗塁もでき、そして素晴らしいメジャーリーグ打者になる選手を獲得したんだ。そしていいメジャーリーグ打者になった」