【高校野球】PL学園の輝かしい歴史に“終止符”…大阪勢力図の変化とは

別格の存在となった“KKコンビ”の台頭

 さらに、次の時代としてはPL学園の歴史の中でも別格として特筆される、KKコンビといわれた桑田真澄(読売→MLB)、清原和博(西武→読売→オリックス)の2人の選手がいた時だ。1年生で甲子園優勝投手となった桑田はその後も甲子園で勝ち続ける。高校生として甲子園出場可能な5度の機会すべてに出場し、いずれもベスト4以上に残るというのも驚異的だ。強さだけではなく強運というかそういう要素も含めて見事としか言いようがない。

 PL学園の強さのすごいところは、一つの時代が終わったかと思ったら、また新しいスターが出現して次の時代を形成したことである。その2年後には、PL学園がいつかは達成するだろうと思われていた春夏連覇をあっさりとやってのける。野村弘樹(横浜)、橋本清(読売)、岩崎充宏(青山学院大→新日鐵名古屋)の投手3枚看板に、立浪和義(中日)、片岡篤史(同志社大→日本ハム→阪神)、宮本慎也(同志社大→ヤクルト)と後にプロ入りするメンバーが目白押しの超スーパー軍団でもあった。

 そして、その後も98年の横浜との延長17回の死闘など、球史に残る試合を幾つも演じてきている。しかし、前田健太(広島→ドジャース)を擁してベスト4に残った06年春が最後の輝きとなり09年夏に3回戦進出を果たしたのを最後に、甲子園出場はない。そして今、その部の存続さえ危ぶまれているという状況になってしまった。

 かつての雄にとって代わって今、大阪を支配する2大勢力が大阪桐蔭と履正社だ。

 大阪桐蔭は大阪産大大東校舎から88年に独立する形で創立。1期生に今中慎二(中日)がいて、その年にドラフト1位指名を受けたことで最初に注目を浴びた。そして、91年に全国初優勝しているが、本格的に勢力をつけてきたのは、98年秋に西谷浩一監督が就任してからである。

 11年ぶりの出場となった02年こそ初戦敗退するが、03年秋に近畿大会を制し明治神宮大会では鵡川相手に36対5という記録的なスコアで勝利してその力を示した。翌年春には初戦で二松学舎大附を下し、ダルビッシュ有の東北に敗退するが、2本塁打を放つなど力を示している。

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