イチローが地元TVインタビューに登場 原点、転機、3000安打について語る
「200安打を10年連続で打った時点で、3000安打は確実に計画の中にあった」
また、プロ入り直後のエピソードも披露。インタビュアーから、「イチロー育ての親」とも言われる河村健一郎氏(当時オリックス2軍打撃コーチ)について「2軍コーチのケンイチロウ・カワムラはあなたのスイングが好きだったんだと思います。でも、1軍の監督はそうではなかった。カワムラは守ってくれましたか?」と質問を受けると、イチローは以下のように答えた。
「僕が19歳の時、コーチが『君にしてほしいことがあるんだけど聞いてくれるか』と訪ねました。『もしくは君のやり方でいくか』だと。僕は『僕のやり方でいく』と伝えました。19歳の時に僕が言ったことは、キャリアにおいてとてつもなく大きなターニングポイントになりました」
唯一無二の個性で偉大なキャリアを築き上げてきたイチロー。信念を貫いたことを自分自身でも「とてつもなく大きなターニングポイント」と表現している。
さらに、3000安打を達成したことについての心境も改めて明かしている。27歳でメジャーデビューしたイチローは、42歳290日での3000安打に到達。これは、リッキー・ヘンダーソンの42歳286日を抜き、キャップ・アンソンの45歳に続く史上2番目の高齢記録だった。
インタビュアーから「2000、2500安打に到達した時、3000安打は可能な数字だと思いましたか?」と問われると、イチローは「200安打を10年連続で打った時点で、3000安打は確実に計画の中にありました。そして僕はたどり着けると思っていました。ここ2、3年はスタメンではありません。ヒットの数は限られてきます。でも、いつも3000安打は到達可能だと思っていました。感情をコントロールするようにしていますが、3000安打を達成したとき、僕が3000安打に到達したんだという喜びよりも、チームメートが僕のことでどれほど喜んでいるのか伝わりました。それが何よりうれしかったです」と話している。
打撃の原点があり、プロとしてのターニングポイントがあり、そして今がある。日米通算ではピート・ローズの4256本を抜き、“世界一”となる4281本のヒット数を誇るが、それも1本1本、着実に積み重ねてきたもの。球史を塗り替えるイチローの挑戦は、まだまだ続く。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count