人の心を動かせるようなプレーをしたい――ロッテ平沢を突き動かす「大志」

震災を経験して芽生えた思い、励みになった「野球、頑張ってね」の声

 練習グラウンドに隣接をして仮設住宅が立った。チームは消滅の危機となった。保護者たちは約1か月、話し合いを続けた。野球をやっている場合なのかという意見も出た中、自宅を流された家庭の保護者が頭を下げた。「子供たちには野球を続けさせてあげてほしい」。心からの願いだった。その一言で決まった。チームは消滅の危機を乗り越え、平沢も野球を続けることができた。

「チーム全員で被災した方のためにという思いが強かった。そういう力は大きかったと思う。震災前まではただ野球をやっている感じだったけど、野球をしたくてもできない人がいる。あれから、そういうことを理解して自分の環境に感謝するようになった」

 練習に向かうため、仮設住宅の前を通りかかると「野球、頑張ってね」と声をかけてもらった。自分よりも大変な想いをしている人から声を掛けてもらえることが励みになった。平沢が所属していた中学野球チームはその人たちの想いを背負ってその年、夏の全国大会に出場。悲願の全国大会チーム初勝利を挙げた。みんなの野球への想い、そして被災した人たちへの気持ちが、不思議な力を引き出してくれたように感じた。それは今まで味わったことのない感覚だった。だから、仙台育英高校に進学が決まった時も東北のために、甲子園優勝を目標に掲げた。

 「周りは意識をしていない人もいたかもしれないけど、自分はずっと東北のチームが優勝をしていないのを知っていたので、東北に優勝旗をと、入学前から考えていました。特に高3夏の大会は決勝までに岩手代表の花巻東高校、秋田代表の秋田商業を破って、勝ち進んだこともあり、それら東北勢のためにも勝ちたいと強く想い、気合が入りました。東北に優勝旗を持って帰りたいという気持ちが強かった」

 想いは残念ながら実現はされなかった。決勝で小笠原投手(現中日)擁する東海大相模高校に敗れ、準優勝。悔しさを胸に仙台駅に戻ると見たこともないような人だかりがあった。構内にも外にも、仙台育英ナインを見ようと人が集まっていた。「感動をありがとう」と声をかけてもらった。その時、自分の想いが、野球のプレーを通じて伝わっていたことに気が付いた。その時に決めた。プロ入りをして、もっともっと野球を通じて、人の心を動かせるようなプレーをしたい。そして一つの縁から千葉ロッテマリーンズに入団をし、背番号「13」を身にまとった。

 2月28日。平沢は母校の卒業式出席のため仙台育英高校にいた。式終了後、3年生全員でいつも汗を流した室内練習場に集まった。それぞれが違う道を歩む。大学で野球を続けるもの、野球はせずに新たな目標を目指すもの、いろいろな夢が広がっていた。野球は止め、消防士を目指す仲間たちがいた。社会の役に立ちたいと「大志」を抱く仲間たちの想いが胸を熱くさせた。だからこそ、自分はプロ野球選手として、夢を伝える役割を全うすることを誓った。

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