津田氏の病室で見守った前回優勝 広島25年ぶりVに思う「天国からの後押し」
毎年続けている墓前での報告、「全てが終わった時にまた報告ができれば」
闘病生活を続けていた右腕は本人の意向によってカープを退団することになる。だが、津田氏はカープの優勝を見届けると「あのマウンドに立つ」と現役復帰を諦めることはなかったという。
「一時は自分で体を起こすことさえできなかったが、本当に1日、1日過ぎるごとに出来ることが増えていった。厳しいリハビリを耐え抜いた津田の頑張りが一番だったけど、キャッチボール、ランニングをする姿を見て本当に奇跡はあるんだなと思いました。このまま順調にいけばNPBに戻ってこられる。私も本当にそう思うほどだった」
だが、体調が再び悪化すると、1993年に32歳の若さでこの世を去った。森脇氏は同年に結婚するが、披露宴の席には津田氏の席を用意。カープ時代に共に汗を流した親友の姿はそこには無かったが、キャンドルサービスを行い、コース料理も参列者と同様に振る舞われた。今でも家族ぐるみの付き合いは変わらない。毎年、津田氏が眠る山口県の墓前に向かい1年の報告を行っている。
「今年のカープはよくメディアで『神っている』と表現されるほど劇的な試合が多かった。準備を怠らなかった選手、その選手たちを育ててきた首脳陣、フロントの地道な努力と的確な補強、そして、何より選手以上に日々準備に最善を尽くしたチームスタッフに菊池さんをはじめとするグラウンドキーパーの方々、全ての要素がかみ合った必然的勝利であったのは間違いない。
改めて心からのお祝いと一野球ファンとして多大な感動を頂いたお礼、尊敬の念をお伝えします。けれど、少し天国から津田が後押ししてくれたのかなと思いたい。クライマックス、日本シリーズと試合は残っています。大舞台こそ習慣勝負、自分を信じ、チームを信じる。期待せずにはいられない。シーズン、全てが終わった時にまた報告ができればいい。空の上から津田もこの瞬間を待っていたと思うから」
◇森脇浩司(もりわき・ひろし)
1960年8月6日、兵庫・西脇市出身。56歳。現役時代は近鉄、広島、南海でプレー。ダイエー、ソフトバンクでコーチや2軍監督を歴任し、06年には胃がんの手術を受けた王監督の代行を務めた。11年に巨人の2軍内野守備走塁コーチ。12年からオリックスでチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務め、同年9月に岡田監督の休養に伴い代行監督として指揮し、翌年に監督就任。178センチ、78キロ。右投右打。