2位でシーズン終えた高橋監督 巨人の歴代新人監督の成績はどうだった?

1年目に日本一を達成した川上哲治監督

○1950年水原茂監督・3位(82勝54敗4分) 優勝チーム・松竹(98勝35敗4分)

 巨人の第7代監督。セ・パ2リーグ制度が始まった年だった。当時の4番は川上哲治。8球団による戦いで82勝も挙げたが、リーグ3位。松竹ロビンス(後に大洋ホエールズに吸収合併され消滅球団に)がセ・リーグの初代優勝チームとなった。しかし、水原監督はチームを立て直し、1951年から1953年までリーグ3連覇・日本一に導いた。

○1961年川上哲治監督・日本一(71勝53敗6分)

 1957年に現役を引退した首位打者5度、ベストナイン10度の「打撃の神様」が就任した。前任の水原茂監督から交代。王貞治、長嶋茂雄らが中心となり、1年目から優勝し、6年ぶりの日本一を成し遂げる。65年から9年連続日本一(通称V9)を達成した名将である。スモールベースボールの礎ともいえる「ドジャース戦法」を取り入れたり、強いチーム作りをした。

○1975年長嶋茂雄監督・6位(47勝76敗7分) 優勝・広島(72勝47敗11分)

 就任1年目は球団史上初の最下位に転落した。39歳で引退し、即監督に就任したが、自身の抜けた「4番サード」の穴がなかなか埋められず、4月中に6位になり、早々と優勝争いから遠のいた。主力の高齢化が進んだため、オフには若手を徹底的に鍛え、翌シーズンは積極的起用。日本ハムから張本勲、太平洋クラブから加藤初が加入し、張本は打率3割5分5厘をマーク。加藤も15勝を挙げた。王も49本で本塁打王、123打点で打点王と2冠獲得。最下位から一転、優勝を飾る劇的なシーズンだった。1993年から2次政権になったが、この年は3位で終わっている。

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