2位でシーズン終えた高橋監督 巨人の歴代新人監督の成績はどうだった?

藤田元司監督、原辰徳監督も1年目で日本一に

○1981年藤田元司監督・日本一(73勝48敗9分)

 前年に長嶋監督が辞任し、王貞治も引退。V9時代にエースとして活躍した藤田元司氏が就任した。絶大な人気を誇った長嶋氏の後の監督だったため風当たりは強かったが、投手中心の手堅い野球で1年目から日本一になった。この年、江川卓が20勝、西本聖が18勝、加藤初が12勝、定岡正二が11勝とローテーションが安定。ドラフト1位で獲得した原辰徳が新人から125試合に出場し、22本塁打。篠塚利夫、中畑清も飛躍。また助監督には王貞治氏が就き、あらゆる面で育成も入れながら、チームを強化。後に「ミスター完投」と呼ばれるほど球界を代表する投手になった斎藤雅樹(現巨人2軍監督)の投げ方をサイドスローにして活路を見いだしたことでも知られる。1次政権は81年1位、82年2位、83年が1位だった。1989年から2次政権となったが、その1年目も日本一になっている。

○1984年王貞治監督・3位(67勝54敗9分) 優勝・広島(75勝45敗10分)

 藤田政権下では助監督を務めたが、序盤から苦しみ1年目はリーグ3位。西本が15勝、江川は15勝。中畑が31本塁打を放つなど気を吐いたが、なかなか波に乗れないシーズンだった。8月以降に10連勝したが広島には追いつけなかった。88年まで指揮し、優勝は1987年の一度だけだったが、篠塚、原、クロマティ、中畑、吉村禎章ら強力打線を作った。その後、ホークスやWBC日本代表でも指揮を執り、チームを頂点に導いている名将。

○2002年原辰徳監督・日本一(86勝52敗2分)

 前年までの長嶋政権下ではヘッドコーチを務めた英才教育を受けた。上原浩治が17勝、桑田真澄12勝。クローザーに河原純一を起用し、28セーブ。日本でのプレー最終年になった松井秀喜外野手が50本塁打を記録し、日本一となった。日本シリーズも西武との戦いは4連勝と圧勝。2006年の2次政権は好調な滑り出しで5月まで首位を走っていたが、4位に終わった。

○2004年堀内恒夫監督・3位(71勝64敗3分) 優勝=中日(79勝56敗3分)

 原監督の後を受け、ヘッドコーチや投手コーチを歴任してきた200勝投手の堀内恒夫氏が就任。元近鉄の主砲・ローズ外野手やダイエー(現ソフトバンク)の小久保裕紀内野手、ヤクルトのペタジーニらを獲得。阿部慎之助捕手や高橋由伸外野手、清原和博内野手、江藤智内野手ら大砲揃いでシーズン新記録となる259本塁打を記録したが、投手陣で目立った活躍は上原くらい。投打のバランスがかみ合わなかった。2年間の任期で優勝はできなかったが、内海哲也投手や林昌範投手らの若手を積極的に起用した。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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