ロッテ戦力外からメジャー昇格寸前へ 左腕激白「一発勝負」にかけた思い
メジャー昇格寸前も、「経理の方からもOKが出なかったとも聞いた」
――単身赴任で海を渡りましたが、家族がアリゾナに行かれたことは?
「1回だけ1週間来ました。それだけです。3Aの時、(本拠地の)リノに。ちょうど3Aに上がる日に、ハイA(1A)の場所に来るはずだったんです。なので、すぐチケットを取り直して。ロサンゼルスまでは変わらなかったので、まずはロスまでは行って、そこから遠征先のソルトレイクまでの飛行機を取って、という感じでしたかね」
――長旅だったんですね?
「長旅ですよ。ソルトレイクから僕らはリノまで飛行機で帰ったんですけど、子供もいるので続けて飛行機に乗せるのは悪いから、僕の知り合いも来て、その人が英語も喋れるので、その人と一緒にレンタカーを借りて7時間かけて」
――家族はアメリカで投げている姿を見て喜んでいましたか?
「まぁ、嫁さんは野球知らないので。多分、抑えたとか打たれたとかは分からないですけど、頑張っている姿を見て嬉しかったんじゃないと思いますけど。僕も会えて嬉しかったですし」
――渡米後は順調にステップアップして、最後は3Aで13試合無失点という成績を残しました。メジャーに上げるかどうか、球団内で話も出たといいます。手応えもありましたか?
「あったといえばありましたけど、見下すような感じはなかったですね。『行ける』『抑えられる』みたいなのはなかったですね。常に抑えてやろうという気持ちだったので。その中で自分の抑え方が分かってきたというか。日本にいたら、1軍でも自分の力を発揮できなかったり、自分からコントロールを乱していた。やっぱり制球が課題でした。フォアボールが原因で、打たれて、自滅して、というピッチングが多かったので。それでクビになったようなものなので、やっぱりアメリカでそういうことをしないと心がけていました。じゃあ、どうしたらストライク先行のいい抑え方が出来るのかということを考えて投げていました」
――米国で制球難をどのように克服したかは、後で聞かせてください。Dバックスの成績が悪く、チーム事情もあって、今年は中後さんの昇格を見送ろうという話になりましたが、やはりメジャーに上がりたかったですか?
「もちろん、上がったらこっちのものですし、そのまま来年40人枠ならメジャーキャンプですし、勝負しやすい。自信にもなりますし、1試合でも投げておけば、その時のイメージがそれなりに分かります。やっぱり上がりたかったですけど、でも、その(チーム)状況は僕も知っていたので。若手中心というのもありますし、僕が入ることによって、1人を自由契約にしないといけない。ましてや、その後に大型補強とかで12月に色々と変わってくる。その時に誰が入って、誰が外れるか、という話になってきます。あとはお金の問題もあります。それも言われたんですね。こういうチーム状況で、経理の方からもOKが出なかったとも聞きました」
――それでも、アメリカに全く興味がないというところから始まって、最終的には結果を残した。アメリカでやることの魅力を感じましたか?
「日本ではダメな結果ばかりでしたけど、アメリカでは抑えられた。マイナーですけど、3Aまで行って抑えられたので、いいイメージはありますよね。こういう投球ができたから、来年もそういう投球が出来るというイメージは沸いてますし。今もし、ここで日本でやるとなると、まだ日本のイメージ、ダメだったイメージがまだ頭にあるので、日本(の球団)から話をもらったら、もちろん僕は日本のプロ野球で野球をやりたいというのが第一なんで……。その中で、途中でこうやってアメリカで野球をやってメジャーに上がれる一歩手前まで来たからには、メジャーに上がりたいという気持ちもありますけど……それは両方あります」