野球愛したカストロ前議長死去 米報道「スポーツを国威発揚に使った人物」

1992年バルセロナ五輪で野球の“初代”金メダル国に

 特に、野球の発展には力を入れた。野球が五輪正式種目となった1992年バルセロナ五輪では、準決勝でアメリカを下し、決勝ではチャイニーズ・タイペイに勝利して金メダル獲得。真っ赤なユニフォームに身を包んだアマチュア軍団は「赤い稲妻」の異名を執ったほどだったが、キューバにとって予想外の事態も発生しはじめた。国際大会で資本主義国と社会主義国の違いを目の当たりにし、「トップ選手たちは、年俸約1000ドルによりも、何千万ドルという契約を求めてアメリカに亡命を始めた」。家族を残して亡命した選手の多くは命がけで、中にはブルージェイズとFA契約したモラレスのように亡命失敗→収監を繰り返しながら、ようやくボートでの亡命を成功させた選手もいる。

 敵対関係を続けたキューバとアメリカだったが、2008年に前議長の弟ラウル・カストロ現議長に代替わりし、アメリカでもバラク・オバマ大統領が就任すると両国の関係が変化。2014年12月には、ついに国交正常化交渉を始める方針が示され、昨年には両国で大使館が再開、国交が正常化された。今年3月にハバナで行われたレイズとキューバ代表チームの親善試合には、ラウル・カストロ現議長、オバマ大統領らが観戦に訪れたが、フィデル・カストロ前議長の姿はなかった。

 国交正常化に伴い、メジャー球団のキューバ人選手獲得方法に何らかの影響があるのではないかと、動向が注目されていたところだったが、キューバの象徴とも言えた前議長の逝去もまた、大きな影響を及ぼすことになりそうだ。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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