オリ戦力外の“いぶし銀”32歳が引退決断、胸中吐露「心は決まっていた」

プロで生き抜く術を学んだ西武時代、「本当に毎日が勝負、厳しい環境だった」

 東海大相模高では川端(オリックス)とクリーンアップを組み強打の内野手として活躍。関東学院大に進学するいきなり1年春にベストナインを獲得。4年時には4番を務め強打の遊撃手としてプロの注目を浴びた。2006年に大学・社会人ドラフトで西武から4巡目指名を受け入団。ある程度、プロでやっていく自信はあったが、入団後にそれは覆された。内野手には二塁に片岡、遊撃に中島、そして三塁には中村と西武黄金期を支えた鉄壁の3人が君臨していた。

「すぐにやばいと思いました(笑)。年齢も近いしこの3人に勝たないと試合には出られない。片岡さんの足、中島さんの打撃、走塁、中村さんの長打。もう、どうしようかなって感じでした」

 ライオンズで1軍に定着するためには自身のスタイルを変えるしかなかった。打撃では長打を捨て進塁打、バントなど小技を磨き、守備は三塁、二塁、一塁と全てを守れるように徹底して鍛え抜いた。当時、2軍の野手総合コーチの田辺徳雄氏からはつなぎ役、守備のイロハをたたき込まれた。

「西武時代は本当に毎日が勝負、厳しい環境だった。周りは勝って当たり前と思っているし、1試合も負けられない。一つのミスで2軍に落ちると思って毎日必死でした」

 だが、2012年の秋季キャンプ中にオリックスへトレード移籍が決まる。

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