営業マンを経て独立リーグ監督へ 元巨人のドラ1守護神、44歳の現在地

巨人ドラ1でも「普通の人」…「それを振りかざして生きていくことはできない」

 引退後、まず情熱を燃やしたのが、野球の普及活動だった。

「小さい子に『野球は知ってる?』と聞くと『知ってる』と言うけど、『やったことはある?』と聞くと『ない』と言う。今、グラブとボールを持っているお父さんが少ない。道具も必要で、ルールもそれなりに複雑で、きっかけとして始めづらい環境。そこを変えないと野球人口は増えないし、球界もまずいなという印象を持っていた。そういう活動ができたらいいなと」

 球団の運営会社でもある広告会社「星企画」が賛同し、16年1月に入社した。「More Baseball Project プロジェクトリーダー」という肩書で野球教室や講演を行いながら、協賛を募るための営業活動にも足を運んだ。いわば、普通の会社員である。「ジャイアンツのおかげで僕のことを知って下さっている方もいて、助かりました」と笑うが、数年で戦力外となった若手選手ならまだしも、巨人のドラフト1位で21年も現役でプレーした実力選手が選ぶ道としては、決して華やかなものではない。

 ただ、その決断は現役時代のマウンドさばき同様、冷静に自分を客観視していたからできたものでもあった。「『オレは野球選手なんだぞ』という感じが、本当に嫌いだったんです」と切り出し、こう続けた。

「いつまでも野球ができるわけじゃないし、野球選手だったことが武器になるわけでもない。昔、野球がうまかった。ただ、それだけのこと。普通の人からしたら『ドラフト1位で巨人に入った』なんて誰にも真似できないなんて言うかもしれない。でも、それを振りかざして生きていくことはできないと、ずっと思っていた。社会に出た時に順応していくものを持ってないといけないし、そこで通用するような社会人でないとダメ」

 体が大きくて、街中でプロ野球選手と気付かれることもイヤだった。その「普通の人」の感覚を「現役時代から持ち続けていた」から、ネクタイを締めることにも抵抗はなかった。「そういう意味では向いてなかったのかも、プロ野球選手には」と冗談めかして笑うが、「普通の人」だからこそ独立リーグの指導者として生きるものがある。

「今は野球が好きで一生懸命、野球を頑張る。でも、もしNPBに行って野球が終わった後には、うまくなるためにどういう風に取り組んでいたかという姿勢や考えの方が、ほかの環境でも使える武器になる。それが、結果的にNPBを目指す上でも役に立つんじゃないかなと思う」

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