「代われ」― 日本一8度のロッテ監督、原点にある1年目の「ブルペン1球交代」
先輩が態度で示したメッセージ「厳しさ、現実…そういうのが人を成長させる」
新人時代以降も古沢さんにいろいろとお世話になった。野球談議に話を咲かせることも多くあった。ただ、あえて、あの時の意図を聞き出そうとすることはなかった。それは、接する中で先輩が態度で示してくれたメッセージの深さをしっかりと感じたからだ。
「本当、感謝だよ。社会の厳しさを教えてくれた。ガツンっとね。どんな仕事でも一緒だけど、優しさだけでは駄目。厳しさ、現実をしっかりと教えてあげないと。そういうのが人を成長させる」
厳しい環境下でなにくそと踏ん張り、与えられた仕事をこなす毎日。入団した頃のライオンズには黒田正宏、大石友好という先輩捕手らがマスクをかぶっていた。そんな中、少しずつ試合に使ってもらい、なにかしらのアピールを繰り返すことでチャンスを待った。
2年目の83年には56試合に出場。そして、ジャイアンツとの日本シリーズでもベンチ入りを果たした。のちにターニングポイントとなる試合。息子の晴れの舞台を見ようと熊本からは両親も駆け付けた。西武球場で行われた開幕2試合と後楽園で行われる1試合を観戦する日程での応援。ただ、出番はなかった。
「自分も多少は出る機会もあるかと思っていた。でも甘かった。負けられない大一番で、若い自分を使おうと思えるほどの信頼はまだなかったということ。今、冷静に考えるとそりゃあ、そうだよね」
そして、両親は息子の出番を見ることなく予定通りに熊本に帰っていった。その直後に突如、チャンスは訪れた。ライオンズの1勝2敗で迎えた4戦目。前日のサヨナラ負けの嫌なムードが漂う中、急に出場を言い渡された。それまでベンチを温めていた若手捕手は、いきなり8番・捕手としてスタメン出場した。
「たぶん、前の日に伝えたら緊張するだろうという首脳陣の判断だと思うけど、ゲーム前のシートノックが始まる時に突然、言われた。そうなると、もう緊張する余裕はない。とにかく必死だった。もう開き直るしかない。あの時、開き直れたことが良かったのだと思う。今まで出られなかった思いをぶつけようとか、そんな気持ちなんて湧かない。それほど無我夢中だった」