元DeNAグリエルが日本語る 激動のメジャー移籍とNPBで得た「大きな財産」

1年足らずのDeNA在籍も「貴重な経験を積ませてもらった」

 時計の針を少し巻き戻してみよう。2013年にキューバ政府がスポーツ選手の国外派遣を認めたことを受け、翌2014年に巨人にはフレデリク・セペダ、ロッテにはアルフレド・デスパイネ、そしてDeNAにはグリエルがやってきた。5月からの途中入団ながら、62試合に出場して打率.305、11本塁打、30打点の成績。2015年も再びDeNAと再契約したが、結局来日せずに契約解除という後味の悪い去り方をした。

「球団やチームメイト、日本のファンはとても温かく接してくれたので、ああいう形になってしまったのは本当に残念」と声を落とすが、状況が複雑になってしまった原因の1つは、契約の主導権をキューバ政府が握っていたことにあるようだ。2014年にDeNAと契約を結んだ時も「政府の意向が強く働いていた」というが、結果的には「野球選手として貴重な経験を積ませてもらった」と振り返る。

「自分が初めてプロの野球選手としてプレーしたのが日本。意識の高い、激しい競争の中でプレーできたおかげで、日本に行く2年くらい前から興味を持っていたメジャー移籍への想いが強くなったんだ。

 日本でレベルの高いピッチャーと対戦できたことは大きな財産だね。印象に残っている投手は、大谷(日本ハム)、前田(現ドジャース)、則本(楽天)、金子(オリックス)の4人。制球の良さは素晴らしかったし、フォークには本当に手こずらされたよ。それでも、日本の投手をどうやって攻略するか試行錯誤した経験が、メジャーに来てからも確実に生きているって言えるね」

 昨年2月、弟ルルデスと2人、遠征先のドミニカ共和国で、亡命の仲介者に高額な金を支払い、母国を捨て、メジャー移籍の夢を追いかける決意をした。メジャー球団と契約できる権利を得た時点で32歳。選手として旬を過ぎているのでは、という声も正直多かったが、幸い複数球団が獲得に興味を示してくれた。その中で「自分にフィットする」と感じたのが、若手有望株がひしめくアストロズだった。

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