サファテ、クルーン、バーネットも… NPB外国人投手のセーブ数トップ10は?

ダイエーでは“剛腕”ではない右腕も守護神として活躍

4位 エディ・ギャラード投手(中日→横浜)
実働5年 194試合6勝9敗120セーブ

 宣銅烈氏の引退で抑え不在となった中日を救うべく、2000年に来日したギャラード投手。シーズン開幕後の入団となったにも関わらず35セーブを挙げ、史上初となる来日1年目の外国人投手による最優秀救援投手に輝いた。2002年にも34セーブで2度目のタイトルを受賞し、翌年には史上最速となる148試合での通算100セーブも達成。中日、横浜の両チームでチームを救う活躍を見せた。

5位 ロドニー・ペドラザ投手(ダイエー→巨人)
実働5年 194試合12勝12敗117セーブ

 本来は先発としての活躍を見込まれての来日だったが、クローザーに抜擢されると、その後は安定感抜群の投球を披露。ダイエーのリーグ連覇に大きく貢献し、来日2年目となる2000年からは2年連続で最優秀救援投手賞も獲得した。外国人投手によるパ・リーグの最優秀救援投手の受賞は、1999年のウォーレン氏(千葉ロッテ)に次ぐ史上2人目の快挙だった。決して上記の投手たちのような剛球を持っていたわけではなかったが、抜群の制球力を武器にホークス黄金期の礎となる活躍を見せた。

6位 郭源治投手(中日)
実働16年 266試合25勝25敗116セーブ

 1981年に中日へ入団して以降、先発と抑えの双方でチームを長年にわたって支えた。シーズン2桁勝利は5回、最優秀防御率1回、最優秀救援投手2回。そしてチームが優勝した1988年にはリーグMVPの栄誉にも輝いた。外国人選手では唯一、そして日本人投手を含めても過去6人しかいないNPB通算100勝100セーブも達成し、「郭ダンス」とも呼ばれた独特なガッツポーズや闘志むき出しのピッチングスタイルでファンに愛された。

7位 宣銅烈投手(中日)
実働4年 161試合10勝4敗98セーブ

 先述のギャラード氏の前に中日のクローザーを務めていたのがこの宣銅烈氏である。来日初年度となる1996年は防御率5.50と不本意な結果に終わったが、日本語の習得に努めてトレーニングも日本式のものを取り入れるなど、日本球界に溶け込もうとする努力が実った翌年以降は2年連続で防御率1点台前半の成績を残す大活躍。翌1999年のリーグ優勝にも抑えとして大きく貢献したが、この年限りでの現役引退を表明。胴上げ投手となって有終の美を飾った。

8位 トニー・バーネット投手(東京ヤクルト)
実働6年 245試合7勝14敗97セーブ

 来日1年目となる2010年は先発として起用されるも期待に応えられず、一旦は自由契約となったが、チーム事情で再契約。そこで中継ぎへの役割転換を告げられるとその素質が開花する。シーズン22ホールドを挙げる活躍が評価されて翌年にクローザーを任され、33セーブを挙げ見事最多セーブのタイトルを獲得。その後2年は故障もあって不本意な投球が続いたが、2015年には41セーブで自身2度目のタイトルに輝くとともに、チームをリーグ優勝へと導いた。気性が荒い投手としても知られたが、同年オフに米球界復帰を希望した際には球団に移籍金を残すためにポスティングでの移籍を図るなど、チームへの感謝の心も忘れない心優しいナイスガイだった。

サファテには名球会入りの期待も…

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