「だから本塁打でも大喜びしない」韓国人メジャーリーガーが貫く流儀の裏側

韓国ドラフトを蹴ってメジャー挑戦「ひと晩で今の立場を手に入れたわけじゃない」

 高校時代はエース兼4番のスター選手。2000年に開催されたAAA世界野球選手権大会ではMVPを獲得し、韓国のドラフトでは超目玉選手とされていた。が、「他の人とは違うことをしたかった。もっと大きなことにチャレンジしたかったんだ」と、韓国球界へは進まずにシアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、単身渡米した。

 高校時代に注目を集めた選手だけに、韓国球界のオファーを“蹴って”アメリカを選んだことに対し、もちろん韓国内で大きな反発があった。だが、自分の心に嘘はつけない。覚悟を決めて渡米したのが2000年。17年の月日を経て、今では年俸2000万ドル(約22億8100万円)を稼ぐメジャー屈指の選手になった。アメリカならではのサクセスストーリーに聞こえるかもしれないが、秋が何よりも誇りに思うのは、今自分が手にした富や地位ではなく、ここに至るまでたどった道のりだという。

「周りが話題にするのは契約の大きさだったり、メジャー選手としての秋信守。でも、ひと晩で今の立場を手に入れたわけじゃない。ルーキーリーグから1つずつ階段を上がって、ようやくここまでたどり着いたんだ。決して順調な道のりではなかったけど、そこで学んだことや経験したことが、今の自分の土台になっている。だから、諦めることなく、簡単な道を選ぶことなく、地道に歩み続けた自分に誇りを持っているよ。

 最初は寂しくて何度も泣いたんだ。日本と同じく韓国も、野球と言えば1日練習漬けで終わるから、練習が終われば食事をして寝るだけ。でも、アメリカはマイナーでも練習は3時間くらいで、午後がすっぽり空くことが多い。さぁ何をしよう。車は運転できない。言葉も話せない。できることと言えば、ホテルの部屋に籠もって、韓国に電話することくらい。しかも、韓国にいたら電話を掛けないような人にまで、4、5年ぶりに電話して『あ、元気? 何してた?』って掛けたくらいだよ。相手も『どうしたの、急に!?』って驚いちゃって(笑)」

 これじゃいけない。そう秋を奮い立たせたのは、元来の負けん気の強さだった。同級生たちは韓国球界で順調に活躍し始めていた。彼らに負けたくない。メジャーの舞台に立つ前に、しっぽを丸めて韓国に帰るわけにはいかない。野球に励むと同時に、拙い英語を駆使しながら積極的にコミュニケーションを取り始めると、徐々に世界が広がった。アメリカは、努力を続ける人には寛容な社会だ。そして、努力は報われる。

対戦相手の努力を知っているからこその敬意、松井に迫る本塁打には「光栄」

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