歴史に残る日米野球人の1945年8月15日ー兵士、子ども、そして戦死の悲劇

終戦時のメジャーリーガーたちは…

 最後の4割打者、テッド・ウィリアムズは27歳の誕生日を目前に控え、終戦を迎えた。1942年にレッドソックスで3冠王になったが、翌年兵役に就き、兵士として終戦を迎える。1946年から現役復帰した。

 ヤンキースの大スター選手、ジョー・ディマジオも1943年で兵役に就いたが、ウィリアムス同様、アメリカ国内で終戦を迎えた。30歳だった。

 テッド・ウィリアムズもディマジオも、第二次世界大戦の兵役で3年間のブランクがあるが、その間も軍の野球チームで活動していた。

 のちにアフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーとなるジャッキー・ロビンソンも従軍したが、1944年11月に名誉除隊。終戦の年に、26歳でニグロリーグに入団している。

 メジャーリーガーの多くも徴兵されて野球のキャリアを中断しているが、戦死した選手はわずかだ。その1人、フィラデルフィア・アスレチックスの捕手ハリー・オニールは、1945年3月硫黄島で日本軍と戦い、命を落とした。

○終戦を迎えられなかった野球人

 1936年秋、37年春の最多勝投手、37年春の最高殊勲選手に輝いた巨人の澤村栄治は、1944年12月2日に乗っていた輸送船が米潜水艦に撃沈され戦死。27歳の若さだった。

 初代ミスタータイガースとして投打に活躍した阪神の景浦将は、1945年5月20日にフィリピンのルソン島で戦死。その他、応召した多くの野球人が戦死、戦病死している。

 職業野球選手として戦死した73人は、野球殿堂博物館横の「鎮魂の碑」に名前を刻まれ、戦争の悲劇を現在に伝えている。また、学生野球、社会人野球の選手で、戦死、戦病死した167人は、野球殿堂博物館内の「戦没野球人モニュメント」に祀られている。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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