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史上2人目の10年連続50試合登板 日ハム宮西、“鉄腕”誕生秘話(前編)

日本ハムの宮西尚生投手が26日、京セラドーム大阪でのオリックス戦で10年連続50試合登板を達成した。中日の岩瀬仁紀投手の15年連続に次ぐ、NPB史上2人目の快挙だ。

転機はフォーム改良「吉井さんと厚沢さん、入った時のコーチが2人だったのは大きかった」

 厚沢コーチは左キラーの原石を発見した喜びと同時に、左打者からもっと嫌がられるフォームへと改造する必要性も感じていた。気になったのは腕の位置。当時の山田正雄GMに相談すると、大学2年まではもっと腕が下がっていたという返事が返ってきた。そこで山田GMから許可をもらい、宮西自身に「今のフォームどう思う?」と問いかけた。

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 キャンプ初日のキャッチボールを終えて、ブルペンに入った瞬間のことだった。当時は完全なオーバースロー。宮西自身も実はしっくりいっていないことを正直に打ち明けた。「大学で球速を求めて(腕の位置が)上になっていって、調子を崩していたんです。元々、体の使い方もスリークォーターがベストでした」と宮西も賛同して、スリークォーター左腕としてスタートを切った。

 紅白戦、オープン戦と走者がいる場面で左打者へのワンポイント起用から始まり、実戦の場数を踏んでいった。直球とスライダーという2つのボールで1年目から頭角を現した。

「スライダーは自信があったので、真っすぐさえ通用すればと思っていました。左を抑えて、右に打たれての繰り返しで成長しました。1、2年目は左を抑えることしか考えていませんでした。極端な話、右はフォアボールでいいやと。ここ数年は立場が変わって、左を抑えるというイメージではなく、右でも左でも取れるところで取っていくというスタイルですけどね」

 宮西が入団してからの10年間でチームは09、12、16年と3度のリーグ優勝を果たした。その鉄腕でチームを支えてきた宮西は謙虚に言う。「左のリリーフがいなかったという運もあったし、その空いているポジションをつかみ取らせてくれました。吉井さんと厚沢さん、入った時のコーチが2人だったのは大きかったです」。2人のコーチが絶妙なコンビネーションで鉄腕を生み出した。(後編に続く)

史上2人目の10年連続50試合登板 日ハム宮西、“鉄腕“誕生秘話(後編)

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