コンバートから5年 バットで生き残りかける西武・木村文紀の戦い
コンバートから5年、バットで生き抜く苦労人・木村文紀
150キロの速球を投げ込んでいた埼玉栄のエースが、マウンドに別れを告げて5年。外野手にコンバートした埼玉西武の木村文紀外野手は、今年3月29日に1軍登録されてから、一度も抹消されることなく2017年シーズンを完走した。
2006年の高校生ドラフトにおいて、埼玉西武から1位指名を受けた木村文。渡辺久信氏の背番号「41」を与えられ、将来を嘱望されていた。1年目に早速1軍登板を果たすと、5年目の2011年には自己最多となる21試合に登板、初勝利も記録する。しかし翌年のオープン戦期間中に腰を患い、投手として充分なパフォーマンスができなくなったことを理由に、同年9月11日付で外野手へのコンバートが発表される。
高校通算で33本塁打を放つなど、かねてから打者としての能力も高く評価されていた木村文は、「野手に転向ということをチャンスにとらえて一生懸命がんばります。やるしかありません」と語り、転向直後の秋季キャンプで徹底した素振りを敢行。並々ならぬ決意で新たな挑戦に臨んだ。
するとその成果は、翌年の2013年に早くも表れる。春季キャンプの1軍(A班)メンバーに抜擢され、5月16日、ファームでの北海道日本ハム戦でも潜在能力の高さを発揮。相手投手はルーキーの大谷翔平だったが、初回にその直球をバックスクリーン左方向の場外にかっ飛ばすと、5回にもスライダーを捉えて二発目の場外弾。ドラ1投手としては後輩にあたる黄金ルーキーに、「打」でプロの洗礼を浴びせた。
さらに、5月20日に野手として初めて1軍登録を果たすと、同23日の広島戦でプロ初打席初安打。28日の横浜DeNA戦では代打で登場すると、6年のブランクを感じさせないスイングで決勝弾となるプロ初本塁打を放ち、鮮烈な野手デビューを飾った。続く2014年も、開幕から主に左翼手として試合出場を重ね、自身初の100試合出場を達成。2桁本塁打を放って持ち前の長打力を見せ付ける一方、俊足を活かして16盗塁も記録した。