巨人で引退した相川 偉大な捕手たちと時代を共有した名捕手の足跡

ヤクルトでも正捕手として活躍

 2008年のオフに海外FAを宣言。相川は城島健司に続いて2人目の捕手としてのMLBへの移籍を希望していたが、これはまとまらず。ヤクルトへの移籍が決まる。2007年に引退した大捕手、古田敦也の攻守の穴を埋めるべく、正捕手としてヤクルトに迎えられたのだ。

 この年、規定打席に達するとともに、リーグ1位の盗塁阻止率4割をマーク。もともと打撃には定評があったが、この時期には守備でも、投手のリードでも信頼感の厚い捕手になっていた。ヤクルトでも3年間、正捕手として活躍。4年目の2012年には骨折によって戦線離脱、この間、14歳年下の中村悠平の成長によって試合数は大きく減ったが、なおも2番手捕手として活躍。38歳の2014年、再びFA宣言をして巨人に移籍した。

 巨人は阿部慎之助の守備での負担を軽減するために、一塁へのコンバートを考えていた。後釜には若い小林誠司を充てる考えだったが、攻守ともに不安があったために相川を獲得した。この年、相川は右太ももの肉離れで戦線離脱したが、打数は少ないながらも打率.313を記録。若い捕手とは違う存在感をアピールした。以後2年は、出場機会は減ったが代打として活躍した。40歳近くなっても勝負強い打撃は健在だった。

 現役年数23年、実働19年。オリンピックやWBCで日の丸も背負った。3つのチームでマスクをかぶり、錚々たる捕手たちと正捕手争いをした経験は、今後のキャリアに生かされるだろう。巨人のコーチ就任は辞退したが、今後の相川の活躍に期待したい。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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