出世望まず、「財産は生徒との絆」―東北高の“黄金期”支えた野球部長の素顔

宮城県高野連の理事としても数々の改革を実行

「ヤンチャをした時に怒られた」と振り返る小浦幸一さんは「卒業してから一度も会っていないので、是非、会いたいと思ってきました」と大阪から駆け付けた。北海道や埼玉、千葉などから参加した教え子もおり、思い出話に花が咲いた。鈴木さんが85歳とは思えないほど、背筋をピンとして歩く姿に「昔と変わらない」と驚きの声も上がり、握手した時には涙を流した教え子もいた。

 東北高を17度、甲子園に導いた竹田監督と「名コンビ」とも言われた鈴木さんは出席者に向けて「このように私の長寿を祝う会を催していただき、この上ない喜びと感激でいっぱいでございます」と話し出し、「現在、高野連に加盟している高校は4000弱ですが、監督を中心とした催しはよく耳にいたします。しかし、野球部長がこのような催しを教え子のOBにしていただくなんて、ないのではないでしょうか。本当にありがとう」と感謝した。そして、東北高の歴史を回想した。

「皆さんが東北高校在学中、どんな歴史を残してきたか。ここにご出席の山内茂さん、長衛さんの頃は、戦後の野球部の復活時代を経て、第1次黄金期時代を築き、東北旋風を巻き起こしてくれました。昭和37年頃から実力がありながら、勝ち運に恵まれず、予想や期待に反した時代に入って参りました。その時代に在学したOBの皆さんもこの中にお出でです。「他の皆さんは第2次黄金時代を築いてきた選手たちです。

 昭和40年、竹田利秋先生をコーチとして招聘。昭和43年、監督に就任。松尾監督の強化策は、『投手は速球、打撃は強振、守備は実戦』でしたが、竹田監督は猛練習の中で攻撃力、守備力、機動力の向上をはかり、松尾監督のパワー野球にうまさを加えた“竹田野球”を創り上げ、第2次黄金時代を築いていったのでございます。皆さんは東北地方をけん引し、一人ひとりが東北高校野球部に新しい歴史の1ページを積み重ね、卒業していきました」

 宮城県高野連の理事としても、「甲子園と同じ雰囲気の中でやろう」という松尾監督の言葉を受けて、宮城大会の組み合わせ抽選会や開会式を改革した。抽選会では主将が校名を読み上げ、校名札をかける形に変更。開会式では録音された音楽からブラスバンドの生演奏へ、そして校名のプラカードを女子校の生徒に持ってもらうようにした。

 東北高硬式野球部、そして宮城県高野連に尽力した鈴木さんは教頭職まで務めたが、「管理職になるとクラス担任がなく、授業数も減らされる」と、生徒との関わりが薄くなることを嫌い、出世は希望しなかった。「1時間でも多く、授業を持って教えることが楽しかった。財産は生徒と教師の絆」と語る。こうした鈴木さんの教員として信念と熱意が、今回の会に結びついた。

 教え子たちへの返礼として、長年、メモとして残しておいた東北高硬式野球部の歴史をまとめた冊子も配られた。「野球部の監督ならばともかく、部長が野球部員だった皆さんにこういう催しをしてもらえるとは。こうした集いをやってくれるのが嬉しい」と感激の鈴木さん。全国的にも例を見ない会を開催した教え子たちへの感謝は尽きなかった。

(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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