近鉄バファローズの記憶と中村紀洋氏の激動の野球人生

「生涯現役」宣言、「NEVER RETIRE」の文字

 当時、大阪の枠には収まらず、パ・リーグの顔であった中村氏は、そのキャリアで、プロ野球選手として得られるものをほとんど手にしている。1991年に渋谷高校からドラフト4位で近鉄へ入団すると、3年目には1軍へ定着して、1995年にオールスター初選出。2000年は9月にシドニー五輪へ参加しながら39本塁打と110打点で二冠に輝き、代名詞のフルスイングと愛称“ノリ”の名を全国に轟かせた。

 2004年、シーズン最中に降って湧いた球界再編問題を機に、オフはかつて断念したメジャーリーグ挑戦の道を選ぶ。地元大阪を離れた中村氏は以後、多くの球団を渡り歩くジャーニーマンとして、求められる場所を探すことになる。マイナー契約を結んだドジャースでは、メジャー昇格こそ果たしたが17試合の出場でノーアーチに終わった。翌2006年はオリックスへ“復帰”するも、1年限りで退団。オフは獲得オファーがなかなか届かず、越年して2月下旬に中日へ入団した。

 当初は背番号3桁を背負う育成契約選手としてのスタートだったが、開幕前に支配下登録を勝ち取り、秋には近鉄時代に届かなかった日本一に辿り着く。日本シリーズMVPに選出された直後のヒーローインタビューで見せた表情は満面の笑顔だったが、周囲へ感謝の気持ちを伝え、ファンからの声援を受けるとさまざまな思いが去来したか。一転して、涙を見せた。

 2008年シーズン終了後はFAとなり、移籍先として選んだ楽天に2年在籍する。2011年に横浜DeNAと契約を交わすと、2013年には通算2000安打と400本塁打の金字塔も打ち立てた。その両方に到達した選手は他に13人いるが、日本シリーズMVP受賞歴もあるのは長嶋茂雄氏、大杉勝男氏、秋山幸二氏の3人だけだ。また、中村氏は守っても巧みなグラブさばきと、高校時代に投手を務めた強肩で魅せ、三塁手として7回もゴールデングラブ賞に選ばれている。

 2014年を最後に、現在はプロ野球のグラウンドから遠ざかっている。だが、2015年に自らが野球指導を行うN’s methodを立ち上げた際には、プロの舞台復帰を諦めておらず、「生涯現役」であることを宣言した。ホームページのトップ画面に現れる「NEVER RETIRE」の文字は、中村氏自身に向けられたメッセージでもあるだろう。尽きせぬ情熱ゆえに、その野球人生が完結することはないのかもしれない。今は無き、愛した球団がそうだったように。

(「パ・リーグ インサイト」藤原彬)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

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