選手兼任コーチは日本特有? 米国でコーチ兼任が少ないワケ
来季は西武・松井、日ハム・實松、ロッテ・福浦らが兼任
日本が誇る“二刀流”は、大谷翔平選手だけではない。
打者・投手の“二刀流”ではなく、選手兼コーチとしての“二刀流”をこなす現役選手は毎年のように存在する。来シーズンに向けてもパ・リーグでは埼玉西武の松井稼頭央選手、千葉ロッテの福浦和也選手、北海道日本ハムの實松一成選手、さらには昨年まで北海道日本ハムに所属していた武田久投手も場所を社会人野球に移して、日本通運で選手兼コーチを担うことになる。
日本では、引退後すぐにコーチになったり、来シーズンの千葉ロッテ井口資仁新監督のように監督となる選手たちもいる。そのためキャリアの終盤に差し掛かった時に、現役を続けながらコーチを兼任するのは自然な流れかもしれない。日本では儒教の教えに影響を受けた「先輩-後輩」の文化もあり、年長者が年少者を指導する習慣は学生時代から存在する。それがプロの世界でも続くため、ベテラン選手がコーチを兼任することも不思議ではないのだろう。
メジャーリーグでは過密する試合日程の影響もあり、試合に出場できる25人の登録枠はどれも欠かせない戦力となる。前日の延長戦やダブルヘッダー、怪我人の影響が出た場合、投手を中心とする選手の入れ替えを余儀なくされる場合がある。だが、コーチ兼任という理由で貴重な選手枠が1つ固定されてしまうと、チームの戦略に影響が出かねない。日本でも同じことが言えるが、ベンチ入りできる選手は25人でも1軍登録は3人多い28人で、さらには1週間に一度は試合がないなど日程にも余裕がある。
メジャーリーグでも選手兼監督は1970-80年代までは珍しいことではなく、ニューヨーク・ヤンキースの元監督であるジョー・トーリ氏やシンシナティ・レッズのピート・ローズ氏も経験している。2011年には当時現役だったポール・コネルコ氏(シカゴ・ホワイトソックス)が選手兼監督として候補に挙がったが、チームにとっていい効果を生まないという理由により見送られた。
2014年にはシカゴ・カブスがメンター(助言者・相談相手)としての効果を求め、マニー・ラミレス氏を傘下3Aの選手兼コーチとして迎え入れた。当時、私はラミレス氏と同じチームで仕事をさせていただいたが、若い選手たちから慕われている様子がうかがえた。だが、次第に選手よりもコーチの役割を多く担うようになっていった。そのためか結果的に選手兼コーチは長く続かなかった。
2016年にはプレーオフ争いから脱落したマイアミ・マーリンズが、マーティン・プラド選手に1試合限定で選手兼監督の役割を与えた。3回途中まで選手として出場した後、ベンチへ下がってからは監督として試合の指揮を執った。選手としてチームを引っ張る存在のプラドに監督を経験させる。これは将来的な可能性を見込んでのアイディアだったかもしれないが、逆に現実的な“役割”としては考えづらいことがうかがえた。
メジャーリーグでは25人枠を勝ち取るための競争は熾烈だ。同時に、メジャーリーグの監督・コーチの椅子も、マイナーリーグで“修行”を積む指導者たちが虎視眈々と狙っている。その激しい競争を勝ち抜いた者だけが集まる場だからからこそ、メジャーリーグでは監督やコーチを選手が“兼任”することは、ほとんど皆無に等しいのかもしれない。
(「パ・リーグ インサイト」新川諒)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)