ヤンキースなどで活躍、68歳で死去のオスカー・ギャンブルの野球人生

80年ヤンキースでは229打席で50打点の活躍

 以後、パドレス、レンジャーズを経て1979年シーズン中に再びヤンキースへ。1980年のヤンキースは、ディック・ハウザー監督のもと103勝59敗と圧倒的な強さで地区優勝。打のレジー・ジャクソン、投のトミー・ジョンという大スターが率いるチームにあって、ギャンブルは指名打者、代打として活躍。わずか229打席で50打点を挙げた。

 ヤンキースでは6シーズン在籍。規定打席に達することはなかったが、勝負強いスーパーサブとして活躍した。

 1985年にFAとなりホワイトソックスで1シーズンプレーしたのちに引退。

通算成績は
1584試合4502打数1195安打200本塁打666打点47盗塁 打率.265
だった。

 引退後はアラバマに帰り、プロスポーツ選手の代理人を行う傍ら、少年野球の指導者にもなった。また、モンゴメリーでディスコを経営。野球選手もよく訪れた。

 1978年フジテレビが日本で初めてMLBのレギュラー番組「アメリカ大リーグアワー」を放送。当時の26球団を紹介したが、ギャンブルは、サンディエゴ・パドレスでデーブ・ウィンフィールドと3、4番を組む強打者、と紹介されていた。

 癌によって死去。68歳。懐かしい選手がまた一人、世を去った。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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