1桁勝利ならBクラス、2桁勝利ならAクラス 涌井はロッテ浮沈の鍵握る存在
海外FA権行使も残留「今はマリーンズのことだけを考えています」
海外FA権を行使していた涌井秀章投手は残留を決め、2018年も千葉ロッテでのプレーを継続することが決まった。涌井の恩師である伊東勤氏はチームを去ったが、新指揮官の井口資仁監督とも、現役時代から親交は深い。青年監督にとっても、前年最下位に終わったチームの立て直しに向け、気心の知れたエースの残留は非常に大きな「補強」となるだろう。
名門・横浜高校で活躍した涌井は、2004年ドラフト1位で西武(現・埼玉西武)に入団。高卒2年目で早くも先発ローテーションに定着して12勝を挙げると、2007年と2009年に2度の最多勝を受賞。先発投手最高の栄誉である沢村賞にも輝いている。
球界屈指のフィールディング、無尽蔵のスタミナ、クールなマウンドさばきなどでもチームに安心感を与え、獅子のエースとして君臨。2012年からは自身の不調とチーム事情で抑えを任されたが、先発起用を求めて2013年オフにFAを宣言し、千葉ロッテへと移籍した。
千葉ロッテでは、プロ入り時の監督だった恩師・伊東氏のもとで先発に固定され、涌井は瞬く間にかつての輝きを取り戻す。移籍2年目の2015年に、15勝で自身3度目の最多勝を獲得し、「沢村賞右腕の復活」を強く印象付けた。
翌年も2桁勝利を挙げ、獅子のエースから幕張のエースとなった涌井。昨年オフには夢だったメジャーリーグを目指して海外FA権を行使するものの、結果的には千葉ロッテに残留する選択に至り、地元・千葉で5年目の挑戦に臨むことを決めている。
移籍後の4年間で、涌井が2桁勝利を挙げたシーズンはチームもAクラス入りし、1桁に終わった年はいずれもBクラスに沈んでいる。この数字は、涌井がチームの浮上の鍵を握る存在であることを、端的に表していると言えるだろう。
涌井は残留を宣言した際、「決断の時期に差し掛かり、愛着のあるマリーンズで、現役時代からお世話になった井口監督を胴上げするために投げたい、という気持ちが強くなりました。今はマリーンズのことだけを考えています」と話し、早くも気持ちを新たにしているようだ。
現役時代は、その勝負強いバッティングで幾度となく涌井を援護してきた井口監督。今度は涌井が勝ち星を生み出す好投で援護し、「恩返し」を果たす番だ。