震災から7年 ボランティア活動に励んだ少年たちがプロ野球へ、胸に秘める想い

日ハム6位の鈴木が忘れられない景色

「震災後、初めて日和山から見た景色は今でも忘れられないので」

 日本ハムから6位指名を受けた鈴木遼太郎投手は宮城県石巻市で生まれ育った。日和山とは、高さ56メートルの小高い丘にある石巻市を一望できる景勝地・日和山公園のことだ。松尾芭蕉も訪れ、『奥の細道』にも登場する。

「高校1年の秋くらいだったかな。ランニングのついでに行ったんです。門脇小学校が火災で燃えている動画は見ていたんですけど、本当に何もなかったですね。高校の時、毎年、日和山にある鹿島御児神社に参拝に来るんです。参拝後に降りて、『がんばろう!石巻』の看板の前で一人ひとり、抱負を宣言しましたね」

 日和山と太平洋の間にある門脇地区と南浜地区は6メートル超えの津波と火災で壊滅的な被害を受けた。あの日、ここに登って津波から逃れた人もいれば、たどり着けなかった人もいる。両地区で400人以上が犠牲になった。

 7年前の3月11日。鈴木も馬場と同様、中学を卒業した日だった。

「母とコンビニにいました。お昼ご飯を買っていたら、地鳴りから揺れ始めたんです。レジに母がいて、自分はガムとかを見ていたら地震が来て。自分、ガムの棚を押さえました。立っていられなくて、何かを掴みたかったんです」

高校の恩師からかけられた言葉「野球で悩めるだけ幸せ」

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