OP戦ラスト登板で中日・松坂が得た収穫と課題 12年ぶりの白星なるか

93球と100球前後の球数を投げられたことが最大の収穫

 最大の収穫は何事もなく、先発投手に必要な100球前後のボールを投げることが出来た点だ。これこそが、この日の登板で最も求められているところでもあった。右肩の故障で苦しんできたことで、キャンプ中から投げる球数を抑えてきた右腕。100球を投げる肩のスタミナは未知のところにあった。「もう1イニングいけた」というように、その点については問題なし。「こういう調整の仕方をするのは僕は初めてだったので、不安もありましたけど、順調に球数を増やすことは出来た。これでいい、と自分に言い聞かせてやるしかないと思っていたので、その通りにやってくることが出来た」と、松坂自身も手応えを感じたようだ。

 3月14日の西武戦(ナゴヤD)で5四死球と荒れたコントロールも、まだ乱れるところはあったものの、修正された。3つの四球を与えたものの、4回に田村に与えた四球はスライダーが際どいところに決まっていた。2打席目に立った際に、田村と言葉を交わしたという松坂は「打席で田村くんと話したときには『手が出ませんでした』と言っていました。本当かどうかは分からないです(笑)」とやり取りを明かしている。

 ストレートの走りも良くない中で試合を作った。「あまりツーシームやカットボールは使わずに、ストレートを中心にと思っていた。良くないストレートを上手く使っていくことを考えて投げていました。カーブはあまり打ってくるボールではない。ポンッと簡単にストライクを取れるようになると、もう少し楽になるんじゃないかなと思いますね」。

 課題もあった。2回、3回にロッテのランナーたちに次々と走られた。決められた盗塁は2イニングで3つ。流石に走られ過ぎた。「僕の癖でどうしても手が先に動いてしまう。それではクイックをしても、あまり意味がない。ランナーは手が動いた時に走れるので」。その癖を「足から動かすように」と修正した5回は、マスクを被った松井雅が藤岡裕の盗塁を阻止。戻ったベンチで森繁和監督から「出来るんだったら、最初からやれ」との注意も受けたという。

 ただ、投球の細かい部分、そして出した走者へ意識を向けられるようになったことが、松坂にとっては大きい。なにせ、右肩の故障でソフトバンク在籍時の3年間はまともに投げることが出来なかったのだ。それが、この段階まで上がってきた。公式戦に投げ、いかに抑えるか、を考えられるところまで来たということが何より大きな意味を持っている。

4月4日の巨人戦での先発が有力視されている

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