「独立リーグ10年選手」から球団社長に 四国IL高知・梶田宙社長の歩む道

地元との熱い絆 周囲の支援で続けられた選手生活

 梶田社長は現役時代から、地元ファンの熱い支援に支えられた。試合ではいつもひときわ大きな声援が起こった。

「年とともに、地元のために頑張ろうという気持ちがどんどん強くなりました。チームの年俸だけでは生活は苦しかったのですが、それを個人スポンサーの方々が支援していただいたんです。それが野球の励みにもなりました。年とともに古くからの選手がどんどん少なくなっていったので、支援者の方に食事などで誘っていただく回数も、一緒にいる回数も増えて、心でつながるようになったんです」

 実働年数だけでなく、通算打数、通算打席数も四国IL史上1位、通算安打数は3位、通算盗塁数は5位。向かっていく打者だったこともあり、通算死球数も1位だった。

「でも、限界も少しずつ感じていました。辞める2年ほど前から動体視力が落ちてきたと思っていました。そんな時に怪我もして、2014年限りで引退することにしました」

 2014年9月13日、高知県土佐山田スタジアムで引退試合が行われた。独立リーグでは全く異例のことだ。球場には10年間、梶田宙を応援してきた多くのファンが駆けつけた。

「この時、うちのオーナーにはすでに“思い”があったようです。球場で『社長やらないか?』と言われました。僕は即座に『無理です』と言いました。まさか本気とは思いませんでした。その1週間後くらいに、スポンサーの方とオーナーと一緒に食事をした時に、こういう形で社長にしようと思うんですけど、という話が出て、『ああ、本気なんだな』と思いました」

 梶田宙新社長は、理事会で正式に承認された。各球団のオーナーも「リーグのためにはいいんじゃないか」と好意的だった。

「まあ“囲われた”というか(笑)、断ることができなくなったんです。もともと、僕は引退しても故郷に帰る気はありませんでした。高知に残ってファイティングドッグスの事業の一環として野球塾でもやろうとかと、北古味潤副社長などと相談していたんです。高知にはそういうのはなかったので。そこへ、こういう話になったので腹をくくりました」

 こうして31歳の若い球団社長が誕生した。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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