なぜハイレベルな首位打者争いとなったのか 好打者・篠塚氏が振り返る1981年

篠塚氏が1981年に首位打者を獲れなくてもいいと思った理由は…

 元々、長嶋監督が惚れ込むほどの打撃センスの持ち主だった篠塚氏は、この年に開花。当時、球界屈指の好打者だった藤田氏と首位打者争いを演じることになった。藤田氏の打撃を参考にしていた篠塚氏にとっては「最高」の経験だったという。「僕も恵まれてるんですよ、そういう意味ではね。自分を奮いたたせてくれる人がいる」と語る。もっとも、タイトルを争っていることについては、当時は気にしていなかった。

「周りは『どっちかな』という感じでしたね。確かに争っていたから。でも、自分はここで(首位打者を)獲りにいこうという思いはなかったんです。(シーズン)途中で、藤田さんがまだ首位打者を獲ったことがないという話を聞いたし、自分たちは先に(ペナントレースの)試合が終わっていたので。周りの人は『もしかしたら』というのはあっただろうけど、自分の中では獲っても獲れなくてもよかった。獲っても、それはもう“儲けもの”のような感じになってしまう。そういう思いもありました。心の中で『藤田さんは獲ってないのか』という思いもありました。藤田さんも年齢がある程度上だったし、自分はその時にあと2、3回は獲れるかもしれないと、そういう自信もあったので。できたら藤田さんに獲ってほしいなと思いましたよ。カッコいい話かもしれないけど」

 シーズンを終えて残ったのは、打率.357という凄まじい成績。タイトルは藤田氏に譲ったが、このハイレベルな数字は、1984年(.334)、1987年(.333)と2度の首位打者に輝いた天才打者にとっても、生涯最高の成績だった。篠塚氏は「(シーズン終了後に)すごいな、と思いましたよ。後々、大変だなとも思った」と笑う。

 ただ、この1年が1つの“土台“になったことは確か。「掴んだというか、そこが始まりだった」と話す篠塚氏の打撃のレベルは、さらに上がっていくことになる。

「打率3割を3年間続けられれば、打者として周りの人も認めてくれる」

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