「不可能はない」 甲子園には届かずも…広島新井の原点は高校時代の成功体験
主将を務めた広島工で広陵を撃破「やればできるんだということを経験した」
今夏で100回大会を迎えた全国高校野球選手権記念大会もいよいよ21日の決勝戦を残すのみ。長い歴史の中で数々の名勝負、ドラマが生まれてきた。Full-Countでは選手、コーチたちに甲子園を目指した高校時代を振り返ってもらった。今回は広島工出身の新井貴浩。
新井の最後の夏は1994年の第76回大会。広島県大会4回戦で西条農に4-5で敗れた。新井の1年時に広島工は甲子園に出場しているが、新井はベンチ入りのメンバーに入っておらず、高校球児として甲子園でプレーする夢はかなわなかった。しかし、“県工”は大方の様相を覆すジャイアント・キリングを起こしていた。
「この年は、二岡(智宏)と(福原)忍がいた広陵が絶対的に強かった。周りはみんな、県工が広陵に勝つわけがないと思っていた」
前評判は決して高くなかったチームの4番打者、主将として、3回戦で最強チームの声もあった優勝候補を撃破。「不可能なことはない。やればできるんだということを経験した」という新井の言葉は、駒大進学後、ドラフト6位入団から名球会入りまで上り詰めた野球人生の原点とも言える。
大本命に勝利し、甲子園への道が開けたと思われたが、次戦で前年の代表校だった西条農に惜敗した。「甲子園に出られなかったのは悔いが残る」という新井だが、西条農戦では本塁打を放ち、「広島市民球場は、当時の高校生にとっては特別な場所だった。試合には負けてしまったけど、あのホームランは覚えているし、嬉しかった」と、のちに本塁打を量産することになる球場での一本を振り返る。