「不可能はない」 甲子園には届かずも…広島新井の原点は高校時代の成功体験
広島では球団史に名を残す選手に「高校野球で得たものは友達」
入団時には「チームで一番へたくそだった」新井が、球団史上初となるリーグ連覇の立役者として、幼い頃からファンだったカープの歴史に残る選手となったのは、常識外とも思えるほどの練習量にあった。若手時代にカープ伝統の猛練習に耐えられたのは、高校時代の成功経験があったからだ。練習で不可能を可能にしてきた新井は、その中で、かけがえのない宝物を手にしていた。
「高校野球で得たものは友達。当時の県工は部員数が多くて、全体で200人以上はいた。僕らの代も入学した時は120人ぐらい部員がいたけど、練習がとにかく厳しかったので、最後まで残ったのは20人だけ。その時の仲間とは、今でも年に1度は集まって、当時のままの雰囲気で騒いだりする。本当に苦しい練習を一緒にやりきった仲間たちができたことは、今でも自分にとって大切な財産になっています」
日本プロ野球選手会が第100回の記念大会に合わせ、全国の高校球児やファンに向けた応援企画として実施された「高校野球は僕らの原点だ」。現役プロ野球選手が母校のユニフォームを着て、ビデオメッセージを選手会のホームページなどでアップするこの企画で新井は選手会特別枠として、母校である広島県立工業高校のユニフォームを着た。高校卒業以来となるユニフォームに袖を通した新井は、「懐かしいというよりは、違和感しかないです。周りからも県工の監督にしか見えないと言われましたよ」と苦笑を浮かべていた。
(大久保泰伸 / Yasunobu Okubo)