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「あの泣いていた選手が…」2000安打の偉業目前 ロッテ福浦の開花のきっかけ

1997安打目は貴重な先制タイムリーとなった。ZOZOマリンスタジアムのスタンドが超満員に膨れ上がった9月16日のイーグルス戦。ファンのお目当ては偉業達成を目前に控えている福浦和也内野手だった。2回。先頭の鈴木が右中間を割る二塁打で出塁し、打席が回ってきた。

プロとは思えぬ細身の体で練習についていくのがやっと…

 18歳の頃は細身のピッチャー。背番号は「70」だった。当時のストレートのMAXは141キロほど。球種はカーブとフォーク。とはいってもフォークは精度が低くほとんど投げず、ストレートとカーブのコンビネーションでやりくりした。そして2軍ですら1試合も登板することなく、1年目の7月には野手転向をすることになった。

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 昔を知る関係者も、今では笑い話のように口にする。「あの練習についていけずに泣いていた選手が、まさかこんなになるとはね」。当時の印象を知る人に聞くと必ず返ってくるのが、プロとは思えない細い体で練習についていけずに苦しんでいたという事実だ。

「当時、浦和(2軍グラウンド)が暑くてね。高校の時は授業が終わってからの練習だから土日以外はあまり昼間から練習をすることはない。でも、プロの2軍は朝からずっと練習。それだけに毎日の暑さが耐えられなかった。走らされては倒れた。熱射病になったこともあった」

 本人曰く、当時、2軍にいた先輩はみな足が速かったという。ついていけずに1周遅れ、2周遅れになる。そして暑さに耐え切れず毎日のように倒れ込んではベンチ裏で嘔吐を繰り返した。悩んで病院に行ったこともあった。医者に「鉄分不足ですね」と告げられた。プロ野球選手失格だと、情けなくなった。

「これは無理だなって。すぐにクビになると思った。でも、その時の追い込まれた気持ちがあったから今がある。クビになるという怖さがいつも付きまとっていたから必死になれた。どうせクビになるなら悔いのないようにしようと思った。だから、投手から野手に転向を言われた時も、すぐに受け入れる事ができたのだと思う」

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