中日復活の鍵を握るビシエド&アルモンテ 「強竜打線」復活へ着実に歩む

中日・ビシエド(左)とアルモンテ【写真:荒川祐史】
中日・ビシエド(左)とアルモンテ【写真:荒川祐史】

強い中日に必ずいる強打の外国人選手

 中日ドラゴンズに光が差しこみ始めている。若手好投手の台頭のみでなく、野手陣もコマが揃い始めてきた。伝統の「強竜打線」復活へ、中心となるのはダヤン・ビシエドとソイロ・アルモンテだ。

 中日が強い年には必ずと言っていいほど、強打の外国人野手がいた。古くは1974年、20年ぶり優勝の原動力となったジーン・マーチン。1試合3本塁打通算3度、王貞治氏、ランディ・バース氏と並ぶ年間10度の1試合2本塁打(76年)を放った。

 不動の三塁手として82年優勝の立役者となったのは、現役引退後MLBで監督経験もあるケン・モッカ。そしてゲーリー・レーシッチは、88年優勝時に落合博満氏らとともにクリーンアップを形成した。

 その後も、来日3年目の94年から3年連続首位打者のアロンゾ・パウエル。オリオールズなどMLBでの実績十分、97年加入のレオ・ゴメス。横浜で2年連続本塁打王を獲得した後、05年移籍入団したタイロン・ウッズ(中日時代の06年にも本塁打王)。09年1年目から本塁打と打点の二冠王を獲得したトニ・ブランコなどが大活躍した。

 中日で結果を出した外国人選手たちの中にはもちろん、MLBなどでの実績がある選手も存在した。しかしそれ以上に中日は「埋もれた原石」を探し出し、磨くことに長けているように見える。良い結果は目に付きやすいというのを差し引いても、中日の外国人成功率は高いと言えるだろう。一時期、獲得に乗り出した韓国籍選手も着実に結果を残した。

 近年はドミニカ共和国を中心とした中南米系選手を補強、17年、35本塁打でタイトルを獲得し巨人へ移籍したアレックス・ゲレーロなどもその一例。いわゆる「モリシゲルート」だ。森繁和監督を中心に直接、現地に足を運んでの獲得調査が徹底されている。そして蓄積した経験、人脈などのノウハウが活かされている。その成果を体現している強打者が、ビシエドとアルモンテの2人だ。

 ビシエドが一躍、時の人になったのは18年8月。47本のセ・リーグ月間最多安打記録に並び、96年イチローが記録した月間48本安打のプロ野球記録に肉薄した。

「月間安打数に関しては、いつも質問されていたからわかっていた。もちろん可能性があるならばチャレンジしたいというのはあった。でもそれで自分のスタイルを崩してしまうのが一番良くないこと。タイ記録だったけど、打ててホッとした部分もある。自信のようなものできた。これで普段の生活にも戻れるから、これまで以上に自分の打撃に集中することができる」

 記録更新はならなかったが、ビシエドの勢いは止まらない。右に左にヒットを量産、CS進出を目指す上位チームにとって、最も警戒すべき打者の1人になった。

 もともとキューバ出身のビシエドは国内リーグで突出した存在だった。08年にイカダで亡命し、ドミニカ共和国で居住権を獲得。同年、ホワイトソックスと契約しメジャー生活をスタートさせた。

 16年の中日移籍後は、積極的にスイングする打撃スタイルが空回りすることも多く、大事な場面での三振や、インコースが苦手という部分がフォーカスされた。しかし日本野球をしっかり研究し、年々、アジャストしていった結果、3年目の大躍進となった。

「日本のレベルは高い。来日前から知っていたけど、良い投手が本当にたくさんいる。やはり最初のうちはアジャストするのにも時間がかかったと思う。よく、インコースは苦手にしている、と言われるが、試行錯誤しながら、自分自身でも手応えをつかんだように感じる。日本の投手はコントロールが良いから、どんどん内側を突いてくる。これまでの感覚でボール、と思ってもストライクの時もあった。だからコースをしっかり把握するためにも、できるだけ手を出すようにしていた」

「最近は日本のストライクゾーンにも慣れてきた。ここはボール、打ってはいけないコースというのも感覚でわかってきた。それができれば、もともと好きだったコースも狙うことができる。また、相手投手の配球が変化しているのも感じる。今まではかなりの確率でインコースを攻めてきたが、少しずつ変化している。そういったことすべてが良い方向に回り始めていると思うんだ」

 自らのウイークポイントを受け入れ、対策を練った結果が月間47安打だ。

真面目な練習態度とハングリー精神が日本での成功の鍵

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