試合前のアクシデントに泣いた好素材 西鉄全盛期を支えた故・田辺義三氏

25歳で不慮の事故…豊田、中西ら当時のメンバーと引退後も続いた交流

 しかし、1962年10月6日、東京スタジアムの大毎オリオンズ戦の試合前、当時打撃投手としてチームに同行していた安部和春に代わって打撃投手を買って出た田辺は、同僚の伊藤光四郎の打球を後頭部に受けて昏倒し、病院に運ばれた。幸いにして意識は戻ったが、意識障害が残り、2年間治療に専念。1964年に1軍に復帰したが、この年限りで引退した。引退時には西鉄球団から200万円の補償金が支払われた。

 事故発生時には、まだ25歳。中西太が衰え、豊田泰光が国鉄に移籍する中、次の中軸打者として期待されていた。関係者からは引退を惜しむ声が出た。

 引退後も西鉄OBとの交流は続き、2011年9月4日、ライオンズクラシックの最終日に、田辺義三は豊田泰光、中西太らと往時のユニフォームに身を包んでグランドに降り立ち、挨拶をした。

 試合前の練習での事故といえば、16日の西武-ソフトバンク戦の試合前に発生した、柳田悠岐の頭に打撃練習のボールが直撃した事故が記憶に新しい。

 プロの打球が飛び交うグラウンドは、常に事故が発生する危険性がある。球団、球場側には一層の安全管理を徹底してほしいものだ。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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