西武の「胴上げ投手」は誰になるか 過去最多は「魔球使い」の現2軍監督

西武のデュアンテ・ヒース【写真:荒川祐史】
西武のデュアンテ・ヒース【写真:荒川祐史】

森、東尾、工藤、渡辺久……黄金時代支えのちに様々な球団で監督も

 9月28日、ソフトバンクを破り優勝マジックを1とした西武は、前身球団を含め1950年から21回にわたってリーグ優勝を経験している。ここでは、パ・リーグの強豪として長い歴史を持つ西武の1シーズン制となった1983年以降の優勝決定戦において、最後のマウンドに上がった「胴上げ投手」について見ていく。

〇広岡達朗監督時代

1983年 森繁和
1985年 東尾修

 1978年から所沢に本拠地を移した西武は、広岡監督のもと82年から85年にかけて3度のリーグ制覇を果たす。1983年の胴上げ投手である森繁和は現中日監督だ。優勝決定試合では2イニングを投げて自責1、1点差に迫られながら最後を締めた。西武の初代エース・東尾修は、1985年に先発の松沼博久からバトンを受けた。西武の監督としても1997年、1998年と2度胴上げされている。

〇森祇晶監督時代

1986年 工藤公康
1987年 渡辺久信
1988年 近鉄の引き分けにより優勝決定
1990年 潮崎哲也
1991年 鹿取義隆
1992年 潮崎哲也
1993年 潮崎哲也
1994年 石井丈裕
1997年 サヨナラ勝ちのため胴上げ投手なし
1998年 橋本武広

 森監督のもと1986年から9年間で8度のリーグ優勝。1986年の工藤公康は先発として1人で投げ切り、ロッテを完封した。1987年の渡辺久信は先発の東尾修の後を受け、7回から登板。最終回に近鉄のオグリビーに2ランを浴びたが、吹石徳一を打ち取って試合を終わらせた。工藤、渡辺の2人は当時の左右のエースで、工藤はソフトバンク監督、渡辺は西武監督としても胴上げを経験している。

 1988年はいまだに語り継がれている「10.19川崎球場」にて、近鉄がダブルヘッダーの第2試合に引き分けたことで、西武の優勝が決定した。伝家の宝刀・シンカーを武器に、1990年、92年、93年と3度の胴上げ投手となった潮崎は、現在2軍監督として若獅子の育成に力を注いでいる。1997年は鈴木健のサヨナラ弾で優勝を決めた。

2000年以降の「胴上げ投手」は石井貴のみ

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