元横浜、巨人の相川亮二氏が「男・村田」を語る「不器用な部分もあったが…」
巨人、横浜で村田と共にプレーした相川氏、村田は「まさに九州男児」
横浜ベイスターズ、ヤクルト、巨人でプロ23年間を過ごし、2004年のアテネ五輪で銅メダル、2006年のWBCで金メダルを獲得した名捕手・相川亮二氏。横浜、巨人で共にプレーした弟分の素顔を語った。
相川氏は村田が横浜に入団した2003年から2008年、そして自身が移籍した巨人では2015年から2017年と計9年間もの間「男・村田」と同じユニホームでプレーした。村田の印象は入団当時から引退するまで変わらなかったという。
「本当に信念を曲げず、学生の頃からベイスターズのキャンプに来てたので、数日だが学生の頃からの村田も見てきて、本当に昔から変わらない。1本、芯があって野球をやっているなぁと、若い時も、ベテランになっても。そういう男でしたね」
BCリーグ・栃木の引退試合ではプロで過ごした先輩、後輩から多くの惜別コメントが集まった。誰からも愛された村田の素顔は一体どのようなものだったのか。
「自分の考えをしっかり持っていてまさに九州男子。気の強さと、不器用な部分もあったが、それがあったからあの成績を残せた。ブレる男ではない。技術面でも精神面でも向かっていってプロ野球の中で活躍した男。彼のブレなさを目の当たりにしてきた。もちろん、バッティングの凄さはあるが、内面の強さが一番、村田をデカくした要因じゃないかと思う」
横浜、巨人で過ごした現役時代には何度も食事に出かけた。プライベートでも話すことはやはり野球の話題だった。野球を心から愛し、限界まで突き詰める姿に何度も感銘を受けたという。
「全てにおいて包み隠さず、全部を表現してくれる子。先輩、後輩からも慕われるのはわかります。横浜時代も何度も食事にいった。野球の話もたくさんしたし、後輩にも技術論を熱く語っていた印象。押し付けるんじゃなくアドバイスをかけていた。常に本気で、どんな場面でも本気でやっていたので。尊敬できる野球選手ですね」