伝説の「10・19」を4番打者が振り返る 阿波野を沈めた同点弾の背景【後編】

伝説の死闘から30年、現在はロッテが運営するアカデミーのテクニカルコーチ

 2018年となった今年、伝説の「10.19」から30年が経った。現在、高沢はロッテマリーンズが運営するマリーンズ・アカデミーのテクニカルコーチとして、地元千葉県の学童球児を中心に指導に奔走している。その間、ロッテもパ・リーグも大きな変貌を遂げたが、振り返って「10・19」をどのように捉えているのだろうか。

「チームにとっては、正直、よくわからないですけれども、僕にとっては節目でホームランを打って、僕だけではなくて他の選手もいいプレーが次から次へと出ました。いろいろなことが絡み合って、引き分けという結果になりましたが、30年たった今も『あのときは?』と取材も受けているわけですから、人生のなかの貴重な思い出です。いい試合に関わらせてもらったなと思いますね」

 アカデミーの仕事で小学校に赴き、校長や教頭に名刺を出して挨拶すると、「ロッテの高沢って近鉄戦のですよね!?」とよく言われるそうだ。

「なかには『あの試合、球場に観に行っていました』という人もいました。僕のことは知らなくても“近鉄戦の高沢”という代名詞のようなものがあるのはいいですよね。話のとっかかりになりますから」

「球史に名を残しましたね?」というこちらの問いには、「近鉄の邪魔をしたという、あまりいい残し方ではないですけど」と苦笑したが、最後に胸を張ってこの言葉で締めた。

「繰り返しますけど、選手時代はどのような試合であっても手を抜くようなことはしていません。あの試合も手を抜かずにやったと思っています」

 こうしたプロフェッショナルな姿勢が「10・19」という名勝負を生み出したということも、後年に語り継いでいくべきであろう。

(文中敬称略)

(「パ・リーグ インサイト」キビタキビオ)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

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