“2位縛り”での指名漏れから2年 日本通運の155キロ右腕が迎える運命の日
故障に苦しんで自信持てず、プロ入りに“2位縛り”の条件つける
大学でさらに球速を上げ、6勝0敗の成績を挙げた大学3年春のリーグ戦では最速155キロを記録。チームの優勝に貢献しMVPを獲得した。その勢いは止まらず、全日本大学野球選手権大会でもチームを準優勝に導いた。
しかし、この時注目されたのはその豪腕だけではない。「地元に戻って公務員になり、のんびり暮らしたい」と発言したことが、マスコミに大きく取り上げられたのだ。
「それまでは打たれてばかりだったので、プロは別次元、テレビで見る世界でした。自分がプロに行けるなんて考えたこともなかった。なので、さらっと言ったつもりだったのですが、新聞に大きく載せていただきました(笑)」
しかし、3年秋に肘を、4年春には肩を痛め、ほとんど投げられない日々が続いた。復帰を果たしたのは4年秋のリーグ戦だった。
「初めての怪我だったので、自分でも驚きました。病院では、重症じゃないと言われていたので『ちょっとすれば治るだろう』と思っていました。ただ、肘が治ったときに、焦りもあって完治する前に早めに上げてしまって、今度は肩が痛くなって……」
もともと、レベルが違うと考えていたプロの世界。この怪我もあり、プロに行けたとしても、活躍する自信がなかった。そのため、プロ志望届を提出したが「2位以上でなければ行かない」という条件を付けた。
「大学の監督と話し合って決めました。上位のほうがチャンスをもらえると、周りの方たちからも聞きました。プロで挑戦するんだったら、チャンスをもらえる位置にいたい。2位以下なら日通で2年間やって、2年後に上位を目指そうと思いました」
結果は指名漏れ。それでも「2位縛り」に後悔はないという。
「怪我もしたし、2位縛りもしていたので、期待はしていませんでした。でもどこかで『あるかな』という気持ちがあったので、残念な気持ちはありました。でも、後悔はありません」