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「みんな日本に恩返しをしたいと思っている」日本プロ野球外国人OB選手会はなぜ生まれたか

誕生から80年以上となる日本のプロ野球。多くのファンに愛されてここまで発展してきた歴史の中で、世界中から活躍の場を求めて来日した外国人選手の存在も忘れてはならない。80年を越えるプロ野球の中で大活躍をみせた選手、残念ながら力を出し切れなかった選手、その全ての助っ人たちが歴史に名を刻んできた。

誕生から1か月で元日本ハムのミラバル氏のイベントを開催

 これまでアレックス・ラミレス監督がDeNA、元ロッテのフリオ・フランコ氏がBCリーグの石川ミリオンスターズ監督と外国人選手が指導者になったが、まだ事例は少なく稀なケースだ。こうして発足したJRFPAには2018年11月時点で、外国人初の沢村賞に輝いたジーン・バッキ―氏を筆頭に、2003年に日本ハムの開幕投手を務めたカルロス・ミラバル氏など63名の会員がいるという。

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 JRFPA誕生から1か月が経過した12月9日には来日中のミラバル氏を囲んで初の公開イベント「ミラバルと忘年会」が開催された。会場は東京・赤坂見附にあるカラオケスナック「UTANOB」で、このお店は現役時代は日本ハムの外野手として活躍しミラバル氏在籍時にはコ―チを務めた嶋田信敏氏がマスターを務めている。

 ミラバル氏の乾杯の音頭で始まったイベントでは、ファンから日本ハム時代についての質問が多く飛び出した。当時は先発だけではなく抑えとしての経験もあるミラバル氏。ファンから「どちらの役割がやりやすかったか」の質問に「先発の方が楽だったよ。たとえ序盤は負けていても試合全体を考えれば勝てる可能性があるからね。抑えはエキサイティングだったね」と答えている。また、抑えについては2000年、巨人とのオープン戦で高橋由伸氏、松井秀喜氏、そして清原和博氏の3人を仕留めたことで抜擢された裏話を披露した。

 最後にはミラバル氏の選手カードやオリジナルTシャツをかけてじゃんけん大会が行われるなどイベントは大盛況のうちに終了。イベント中は通訳もおり言葉の壁も解消されてなごやかな雰囲気で行われた。オフには多くの日本人選手がトークショーなどを開催するが、こうして外国人選手が主役のものは、初なのではないだろうか。

 設立から1か月弱でイベントを開催したJRFPA。既に次なる構想があり、野球教室の開催やグアムのチームとの交流試合、外国人選手だけが登場するゲームの制作、外国人OB選手が来日し、日本人OB選手との試合開催など構想は多岐にわたる。「夢」の実現に向けて着実にその一歩を踏み出している。果たして次はどのような形で野球界にムーブメントを起こすのだろうか。今後のJRFPAの活動に期待したい。

(豊川遼 / Ryo Toyokawa)

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