日ハム元監督ヒルマン氏がMLB監督要請の秘話明かす 「簡単な決断でもあった」
日本野球に完全にはなじんでいなかった06年の日本一
日本一になった06年、リーグ1位を決めた後の球場でのインタビューで発した「シンジラレナ~イ」が流行語となったヒルマン氏だが、日本で感じた言葉の壁は高かったという。同氏はインタビューで「(言葉の壁への対処は)それほどうまくはいかなった」と語っており、時折、日米両国の言葉がわかる通訳以外のチームスタッフに、自分の言葉がきちんと伝わっているか聞いていたという。
06年、前年までMLB流の強攻策を基本にしていたヒルマン監督は、犠打の多用など日本流のスモールベースボールになじんだことで優勝という結果につなげたと言われたが、日本ハム監督になった時の経緯にしても、先約を優先するというビジネス上の常識を実践したもの。実際は日本に完全になじんでいたわけではないようだ。
その後、MLBでロイヤルズ監督のほか、ドジャースとアストロズのベンチコーチ、ヤンキースのスペシャルアシスタントなどを歴任したヒルマン氏に、韓国のSKワイバーンズからの監督就任オファーが来た。しかし、ヒルマン氏自身は「もう1度監督をする予定は本当になかった。すでに20年もやってきたからね」という。だが、結局2016年からSKの監督に就任し、3か国目となるプロ野球監督のキャリアを始めることになった。
(Full-Count編集部)