闘将・星野仙一氏、鉄人・衣笠祥雄氏…2018年に逝去した主な日本球界関係者

400勝投手・金田正一氏の弟・金田留広氏も逝去

9月23日 滝内弥瑞生82歳(199安打13本塁打)
 福岡県立戸畑高から1954年、西鉄に入団。内野のユーティリティ、代走として黄金時代の西鉄を支えた。引退後は長くコーチとしてチームに貢献。同期、同級生の仰木彬が近鉄監督になると、コーチとして招かれた。

10月2日 金田留広71歳(128勝109敗2セーブ)
 愛知高校、愛知学院大(中退)、日通浦和を経て、1968年のドラフト4位で東映に入団。兄は400勝投手の金田正一。兄は左腕、弟は右腕。72年には20勝で最多勝。73年には兄・正一が監督を務めるロッテに移籍し16勝を挙げ最多勝、MVP。兄弟そろって100勝以上を挙げたのは、NPBでは金田正一と留広の兄弟だけ。ベストナイン1回、オールスター出場3回。引退後はロッテコーチなどを務めた。

10月7日 多菊善和82歳(元ヤクルト球団社長)
 親会社のヤクルト本社専務も務める。球団本社社長時代は「(海外挑戦する高津臣吾に)やってみればいい、どれだけの価値があるか」と発言するなど歯に衣着せぬ言動で、話題を呼んだ。

10月9日 手塚明治96歳(399安打22本塁打)
 明治大から小口工作所などを経て1949年に巨人に入団。正三塁手に。1953年には巨人軍19代目の4番打者に。のち大洋に移籍し、レギュラー三塁手として活躍した。

10月15日 ジョ-・スタンカ87歳(100勝72敗)
 1960年南海に入団。196センチ、96キロという超大型投手。杉浦忠とともに南海の2大エースとしてパ・リーグに君臨した。1964年には26勝を挙げMVPに。のち大洋に移籍。ベストナイン1回、オールスター出場2回。NPB通算100勝はMLB出身外国人選手として、ジーン・バッキ―と並ぶ最多。

10月17日 古川清蔵96歳(1419安打97本塁打)
 鹿児島商業学校、八幡製鐵を経て、1941年職業野球の名古屋軍に入団。小柄だったが、駿足で打撃もパンチ力があり、戦前に2年連続本塁打王。1945年に復員。阪急に移籍し、1953年には7打数7安打も記録。引退後は競馬評論家に。戦前の職業野球を知る最後の野球人だった。

10月26日 森下整鎮85歳(1188安打50本塁打)
 福岡県立八幡高を中退し、南海土建を経て1951年、南海に入団。駿足好打の遊撃手、二塁手として全盛期の南海で活躍。アキレス腱を3度も断裂したが復活。盗塁王1回、ベストナイン2回、オールスター出場4回。引退後は中日、大洋、南海などでコーチを歴任。のち少年野球指導者になった。

12月13日 銭村健三91歳(0安打0本塁打)
 父はハワイにわたり、野球人として活躍した銭村健一郎。日系2世として1953年広島に入団。駿足巧打の外野手だった弟の銭村健四の付き添い的な役割だったといわれ、わずか10試合の出場で帰国(弟健四はオールスターに出るなど主力選手として活躍)。引退後はハワイで中学教師になり、日米の野球交流に尽力。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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