プロで活躍、大学でフィーバー…12球団の現役監督が「新成人」だったとき
ヤクルト・小川監督、巨人・原監督は大学で活躍
【セ・リーグ】
○広島 緒方孝市監督
(1968年12月25日生まれ)
佐賀県立鳥栖高校からドラフト3位で広島に入団して3年目。前年9月17日の甲子園、阪神戦に「7番・二塁」で1軍初出場。4回表に野田浩司から左にソロ。プロ入り初安打がホームランという派手なデビューだったが、翌89年は2試合に出ただけで無安打。初めて規定打席に達するのは8年後の1996年のことだった。
○ヤクルト 小川淳司監督
(1957年8月30日生まれ)
中央大学3年生。千葉県立習志野高校時代はエースとして甲子園で活躍したが、大学で外野手に転向。大柄で、飛距離の大きいスラッガーとして頭角を現す。4年生時には、大学を日本一に導き、日米大学野球では早稲田の岡田彰布、東海大の原辰徳らと主軸を打つ。卒業後は河合楽器を経て1981年ドラフト4位でヤクルトに。
○巨人 原辰徳
(1958年7月22日生まれ)
東海大相模高校時代は、アイドル的人気で甲子園を沸かせた。79年は東海大学に進んで3年目。すでに中軸打者として活躍。東海大が出場する首都大学リーグ戦は神宮球場が満員になる。明治神宮大会では法政大・江川卓と好勝負を演じた。1980年ドラフト1位で巨人に入団。
○DeNA アレックス・ラミレス監督
(1974年10月3日生まれ)
ベネズエラ出身。クリーブランド・インディアンスとマイナー契約をして3年目。A+級のベーカーズフィールドとAA級のカントン・アクロンでプレー。この歳、A+では調整中の野茂英雄が登板した。前年2月には結婚。妻の連れ子である12歳のアレックス・ラミレス・ジュニアの父親に。メジャー昇格は1998年。ヤクルトに来たのは2001年だった。
○中日 与田剛監督
(1965年12月4日生まれ)
亜細亜大学3年生。木更津中央高校時代はエースとして活躍するも甲子園出場ならず。亜細亜大学に進学するが、故障でほとんど試合に出ることができなかった。86年に右腕血行障害の手術を受け、NTT東京に入社。剛速球が戻り、1989年ドラフト1位で中日に入団。
○阪神 矢野燿大監督
(1968年12月6日生まれ)
東北福祉大3年生。大阪府立桜宮高校から、恩師・伊藤義博が監督を務める東北福祉大へ。捕手だけでなく 三塁手としても活躍。1年先輩の佐々木主浩の球を受ける。同級生に小坂勝仁、1年後輩に年齢は同じ金本知憲がいた。大学屈指の捕手として、1990年のドラフトで巨人と中日が2位に指名。抽選で中日への入団が決まった。
(広尾晃 / Koh Hiroo)