2年連続30勝も過酷な時代を生きた権藤博氏 監督として38年ぶりの優勝も経験

野球殿堂に選出された権藤博氏【写真:細野能功】
野球殿堂に選出された権藤博氏【写真:細野能功】

2019年の野球殿堂エキスパート表彰で選出された権藤博氏

 2019年の野球殿堂エキスパート表彰で選出された権藤博氏は、1938年12月佐賀県生まれ。佐賀県立鳥栖高校を経て社会人のブリジストンでプレー、1961年に中日に入団した。同い年には巨人V9時の正遊撃手・黒江透修、ロッテの正捕手・醍醐猛夫、広島の中軸・山本一義などがいた。

 社会人時代から威力のあるボールを投げることで知られ、中日は杉下茂がつけた背番号「20」を新人の権藤に与えた。濃人貴実(渉)監督は、1年目から主戦投手として起用。開幕2戦目で完投勝利を挙げたのを皮切りに、1年目の1961年はリーグ最多の69試合に登板。35勝19敗で最多勝。さらに防御率は1.70で1位、32完投12完封、310奪三振もリーグ1位と、投手タイトルを総なめした。

 この年の権藤の投手記録を先発と救援に分けると

・先発 44試合28勝12敗342回 防御率1.63
・救援 25試合7勝7敗87.1回 防御率1.96

 となる。セーブ制度は当時はなかったが、今の基準でカウントすると7セーブとなる。

 先発、救援での大活躍ぶりに、スポーツ紙は「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤」という見出しを掲げた。事実、1961年の権藤は、連投が19回(このうちダブルヘッダーの連投が4回)、これに加えオールスター戦でも連投していた。

監督としてはわずか3年だったが優勝1回、3位2回と全てAクラス

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