2年連続30勝も過酷な時代を生きた権藤博氏 監督として38年ぶりの優勝も経験

監督としてはわずか3年だったが優勝1回、3位2回と全てAクラス

 翌年も権藤は30勝(17敗)で最多勝。2年連続30勝は1939・40年のスタルヒン、1957~59年の稲尾和久(3年連続)の3人しかいない。

 しかし2年間で792回、1万球を超える球数を投げた権藤には、もう余力はなかった。翌年から3年間で17勝しか挙げられず、投手を断念。打撃成績も優秀だったことから、1965年から内野手に転向、しかし野手としては打率は1967年の.215が最高。この年リーグ最多の26犠打を記録したものの、レギュラーにはなれなかった。翌、1968年に杉下茂が監督に就任すると、再び投手に復帰し1勝を挙げたが、この年限りで引退した。

通算成績は
 投手 210登板82勝60敗1136回667奪三振 防御率2.69
 野手 463試合1041打数214安打18本塁打85打点12盗塁 打率.206

 引退後は、解説者を経て中日、近鉄、ダイエー、横浜でコーチを歴任。自身の過酷な経験から、投手陣の「先発・救援分業」を推進。1998年に横浜ベイスターズの監督に就任すると、チームを38年ぶりの優勝に導く。その後、解説者を経て中日の投手コーチに復帰。さらに、2016年には侍ジャパンの投手コーチに就任。2017年の第4回WBCでは78歳の高齢で、投手陣を取り仕切った。

 監督としての通算成績は407試合219勝186敗2分、勝率.541。わずか3年だったが、優勝1回、3位2回。すべてAクラスだった。現役時代は、酷使に耐えて大車輪の活躍をしたエース、指導者としては選手の側に寄り添い、新しい指導法も取り入れた先進的な指導者。権藤博氏は2つの野球人生を生きた、稀有の野球人と言えるだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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