イチロー“満塁弾”の宮古島、1、2軍隣接の宮崎など オリックスキャンプ地の歴史

オリックス・西村徳文監督【写真:荒川祐史】
オリックス・西村徳文監督【写真:荒川祐史】

阪急ブレーブスは西宮球場でキャンプを始め、後に高知へ…

 阪急はプロ野球3番目の球団だ。ライバルの阪神電鉄が職業野球を結成するという電報を視察中のアメリカで聞いた、阪急の創業者・小林一三氏が、電報で「至急球団を作れ」と命じて、誕生したという逸話を持つ。

 プロ野球創設2年目には、西宮市内に西宮球場を作った。1953年、阪急ブレーブスはこの西宮球場で春季キャンプを始めた。一時期は芦屋市営球場や、姫路市立姫路野球場なども併用されたが、1961年には高知市野球場を春季キャンプ地とする。

 高知県での春季キャンプは、阪急ブレーブスが最初だった。長池徳二、福本豊、加藤秀司、山田久志ら、球史を彩ったブレーブスナインは、すべて高知でキャリアをスタートさせた。

 1988年、阪急からオリックスに親会社が変わると、翌1989年から春季キャンプは沖縄県糸満市の糸満市西崎球場で行われるようになる。1992年、ドラフト4位でオリックスに入団した鈴木一朗外野手は、この地で初めてプロのユニフォームにそでを通している。のちのイチローだ。

 1993年には、宮古島市民球場が春季キャンプ地となる。この球場は前年に開場したばかりの新しい球場だったが、沖縄本島から宮古島へは飛行機で約1時間。本土から最も遠いキャンプ地だった。しかし2月でも平均気温が18.8度という温暖な気候は、キャンプには最適だった。

沖縄・宮古島キャンプではイチローがランニング満塁本塁打を放つ

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