「今は口だけの選手が多い」―現役引退の攝津正が体現したエースの“美学”

エースとはチームへの思いを行動に移し、真の信頼を得た存在

「結果を残すのはもちろん、チームのためにいかに自分を犠牲にできるか。エースとはそういう投手じゃないですか。チームへの思いをいかに行動に移せるか。それが真の信頼につながる。今は口だけの選手が多い」

「平常心ということを思いずっとやってきた。喜怒哀楽を出さないことを心がけてやってきた」

 強豪ソフトバンクのエースとして一時代を築いてきた男は、引退にあたり自らのエース哲学を語った。そして関係者誰もが言う、決して泣き言を言わなかった男が、最後にこう漏らした。

「どこかが痛くても、我慢して投げていた」

 その言葉からは、かつて最前線で投げていた頃と同じ、強い意志を感じた。

「結果は出ていますが、僕はあくまで制球や投球術というのかな、そういうので勝負しないといけない投手。だから三振をたくさん取るのではなく、それでも常に完投したい。任された試合でしっかり自分の仕事をしたい。それが投手として最も大事なことだと思う」

 18年、野球界の記憶に残るキーワードの1つは、秋田だった。8月の全国高校野球選手権大会、金足農高が県勢として103年ぶりの準優勝。全試合に登板した吉田輝星は大きな注目を浴び、大会期間中の881球に及ぶ投球は世論を巻き込むこととなった。任せられた立場で自らの全てを出し、目一杯、精一杯、仕事をまっとうする、まさにエースと呼ぶに値する存在。どことなく同郷の攝津とダブるような気がした。注目の新人は秋のドラフトで日本ハムから1位指名を受け、戦いの場を最高峰のプロ野球に移す。

 吉田輝が北の大地で挑戦を始めようとしているのと時を同じくして、攝津はユニフォームを脱ぐ。決して長い期間の活躍ではなかった。しかしその姿勢、野球人としての魂は、故郷・秋田から遠く離れた九州の地に深く刻まれている。間違いなく今後、ホークス史に残り続ける“レジェンド”である。

(山岡則夫 / Norio Yamaoka)

山岡則夫 プロフィール
 1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページ(http://www.ballparktime.com)にて取材日記を定期的に更新中。

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